ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月18日(月) 陣痛

今日も厳しい残暑であったが山里ではお昼前に土砂降りの雨が降った。

一時間程で止んだが工場の庭には水溜まりが出来る。

そうして一気に暑さが和らいだがそれもつかの間のことであった。

陽が射し始めるとむんむんとした熱気が辺りを包み込んでいた。


何処からか雉が一羽舞い降りて来て庭で遊び始める。

どうやら稲刈り後の籾の粒を食べているらしい。

その姿を見た義父はとても穏やかな笑顔になり

「もっと食べさせちゃるぞ」と云って

籾を手にすると庭にばら撒いているのだった。

義父の優しさを感じ胸がほっこりと温かくなる光景であった。


同僚が忌中のため工場は開店休業となる。

小さな村のことで誰もが知っているのだろう。

来客は一人もなく義父も助かったようだった。


午後から稲刈りの予定だったが大雨が降り中止となる。

夕方にはお通夜に参列しなければならずその方が良かっただろう。

お盆休み中に粗方の稲刈りを済ませており焦りもない様子であった。


事務仕事も特になく2時に退社し市内の葬儀場へと向かう。

同僚は気疲れした様子も見せずきりりっとしていた。

お母さんのことはいつも「おばちゃん」と呼んでいたので

そう声を掛けたらまるで生きているように穏やかな笑顔である。

天寿を全うしたのだろう。何とも安らかな眠りであった。

同僚に「寂しくないね」と告げると「うん」と笑顔で頷く。

末っ子の同僚はきっとお母さんっ子だったことだろう。

寂しくないはずはなかったがその笑顔に救われるようだった。


お通夜、明日の告別式にも参列できないことを告げて帰る。

不自由な足のせいもあるが喪服がもう着れなくなっていた。

同僚もちゃんと理解してくれており「無理せんでもええよ」と言ってくれた。

とうとう私も人並みのことが出来なくなってしまったのだ。



ケーキを買って帰る。今日は娘の44歳の誕生日である。

生まれた日のことを話していると「毎年おんなじことを」と

娘に制止され私だけの記憶になって行く。

それも寂しいものだが娘に母親を押し付けてもいけないだろう。

確かに私は娘を産んだが娘にはその記憶が無いのであった。


この先どんなに老いても娘に負担を掛けてはならない。

それは大きな危惧であり不安でもあった。

もしそうなれば死んだ方がマシだと思う。

寝た切りになったりせずにぽっくりと死にたい。

それが叶うのなら命など惜しくないと思っている。


歳月は「宝物」だろうか。44歳になった娘が愛しい。

西日の当たる産室で痛みに耐え続けたあの日をどうして忘れられようか。



※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     初恋

 初めての恋はふんわりと
 春の風のようであった

 「遊ぼう」の一言が云えない
 名前を呼んだだけでどきどきする

 横顔が好きだなとおもう
 だから真っ直ぐではなかった
 少し離れた処から見ていたのだ

 音楽の時間に縦笛を吹く時
 彼はふざけて横笛にした
 その姿はとても美しくて
 まるで絵のように映る

 音楽の時間が楽しみになったが
 彼はもう二度と横笛を吹かない
 美しいと云うことは儚いことだった

 校庭を駆けている風のような少年
 そのさりげない仕草が胸に焼きつく

 それが恋だとは知らないまま
 もう60年の歳月が流れた

 晩夏となった山里には
 蜩の声がせつなく響き渡っている



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