ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月19日(火) 男と女

厳しい残暑が続いており今日もうだるような暑さであった。

今週末には「処暑」だが少しでも暑さが和らいでくれるだろうか。

朝の山道を行けばもう鉄砲百合が枯れ始めている。

純白の花だけに茶に染まれば憐れな姿であった。

それでも折れることはない。何と逞しい花であろうか。


同僚宅のお葬式。義父が出掛け私は留守番をしていた。

来客はなかったが車のトラブルの電話が2件ある。

訳を話し午後まで待ってもらうことにした。

お昼過ぎには義父が帰って来て出張修理に行ってくれる。

開店休業とはいかないのだ。義父が行ってくれてとても助かった。

幸い大きなトラブルではなく直ぐに直ったようである。


今朝は姿の見えなかった「みい太」が子猫を連れて帰って来た。

しきりに鳴いて餌をねだるのだが子猫には餌を与えてはならない。

仕方なく心を鬼にしたが何とも心が痛む。

義父は子猫にはとても厳しかった。情けをかけてはいけないと云う。

昔母にも同じことを云われたことがあり私も鬼にならざるを得ない。

Kちゃんが里親を探しているようだが未だ報告はなかった。

いつまでも可愛い子猫ではいられないのも切ない現実である。



県税事務所に用事があり2時過ぎに退社した。

全ての書類が整ったので明日は県に郵送出来そうである。

一番苦手な事務仕事だったのでほっと肩の荷が下りた。


サニーマートに着くなり同僚から電話があり

無事にお骨上げも済み帰宅しているとのこと。

喪主としての務めも果たしほっとしたのだろう。

真っ先に私に報せてくれたことが嬉しかった。

お兄さんに孫がいるらしく故人にとってはひ孫である。

その幼い子供たちが先を争うようにお骨を拾ったのだそうだ。

その光景が微笑ましかったのだろう同僚も笑い声であった。

亡くなったお母さんもどんなにか嬉しかったことだろうか。

仕事のことは気にせずに落ち着くまで休むように告げて電話を切る。


帰宅して同僚のことを夫に話していたら何だか機嫌が悪い。

私がまるで姉のように親身になっているのが気に入らなかったようだ。

心の広い人だと思っていたが夫も「男」なのだなと思う。

今日を限りにもう同僚の話はしないほうが良さそうである。


今朝は父と母の喧嘩のことを詩に書いたが

それがきっかけだったのだろう。父と母は増々険悪になって行った。

毎晩のように訪ねて来る若い青年こそが今の義父だったのだ。

子供の私にはおとなの男女のことなど何も分からなかった。

しかし母が家出をした時に真っ先に義父の顔が浮かんだのだった。

母は「母親」よりも「おんな」を選んだのである。

運命の糸は私まで絡めたがその結果が今の幸せなのだと思っている。

その青年が義父で良かったと思う。母が心から愛した人であった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     喧嘩

 一編の物語のように思い出す
 記憶には確かな「カタチ」があった

 優しいはずの父は厳格であり
 か弱いはずの母は強情である

 喧嘩が始まると弟と一緒に
 押し入れに逃げるのが常であった
 私は父の猟銃をしっかりと抱き
 その重みの何と悲しかったことか

 押し入れの戸を少しだけ開けて
 一部始終を見ていた
 怖くてならなかったが
 子供心に見届けなければと思う

 父は鬼のような形相であったが
 母は決して涙を見せなかった
 歯を食いしばり耐えようとする
 ぎゅっと握り絞めた拳が震えていた

 まるで嵐のような夜であったが
 朝になるとお味噌汁の匂いがし
 母の「おはよう」の声がする

 夢だったのかもしれない
 それなのにどうして忘れられないのだろう


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