朝の寒さは日に日に増しているけれど 日中は風もなく穏やかな小春日和となった。
山里の母が庭の木を剪定するのだと言って 高切り鋏を持って一日中奮闘していた。 それは体調の良い証拠でもあるのだけれど 後からどっと疲れがきやしないかとはらはらしながら見ていた。 私は事務所でひとり仕事、手伝おうかと言っても断られてしまう。
同僚はすっかり枯れてしまったコスモスを引き抜いていた。 それも母の指図で私が口をはさむことは出来ないけれど 去年はそれを母がしていて私も手伝ったことを思い出す。
あの時はもう咲いてくれないのではないかと心配でならなかった。 少しでも種を落とそうとふるい落としながら引き抜いたことだった。
そのかいがあってか今年もたくさん咲いてくれたコスモス。 さようなら秋。ありがとう秋と心でつぶやきながら作業を見守っていた。
「綺麗」とはどういうことだろうかとふと考える。 枯れてしまったものは綺麗ではないというのが母の考えだった。
私は違う。私は枯れてしまったものも美しいと思う気持ちがあった。 人も植物もその時がくれば枯れてしまうのが運命なのかもしれない。
それはとてもせつないことだけれど、そのせつなさのなかに「命」がある。
その命がうつくしいものなのだ。
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