曇り時々晴れ。風は吹いていたがかなりの蒸し暑さだった。
秋田では記録的な大雨。今夜もまだ油断がならないようだ。
河川の氾濫が相次いでおりなんとも心配でならない。
止まない雨はないと云うがどれほどの人が祈っていることだろうか。
いつものように4時に目覚め「浜木綿」の詩を書いた。
その後どうしたことか胸に何かが引っかかっているような気がしてならない。
気のせいかもしれないと忘れようとしたが未だに違和感を感じている。
特に鬱症状もなく至って健康である。どこも壊れてはいないと思う。
それなのにいったい何が悪さをしているのだろうか。

今夜は孫たちの小学校で夏祭りがありめいちゃんと娘達が出掛けた。
あやちゃんは気分が乗らないようでお留守番をしている。
夕飯を食べていないのであれこれ世話を焼いていたら
勝手に食べるので良いからと言って少しご機嫌が悪い。
そんな年頃なのだと思えば納得がいくはずなのだけれど
寂しさの方が勝り肩を落とさずにいられなかった。
ようは必要とされていないのである。居ても居なくても良いのだろう。
気になって階下の食堂をそっと覗いたら独りで夕食を食べていた。
自分でご飯もよそって黙々と食べているのであった。
何の心配も要らない現実がそこにあるのである。
「成長」とは遠ざかることなのかもしれない。
そうしてその後姿をそっと見守ることなのだろう。
私は「孫」として引き留めようとするが
「孫」は鳥のように羽ばたくものなのであった。
それでも何か通じ合うことがあるのかもしれない。
「おはよう」の一言が言えなくても
「おやすみ」の一言が言えなくても
生まれて初めて抱いた日のことをどうして忘れられようか。
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