ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年07月14日(金) 老いぼれのうた

曇り日。時おり陽射しがあったが気温はあまり上がらず

厳しい暑さも一休みのようであった。


帰宅途中の県道沿いに浜木綿の花が咲いているのを見つけた。

はっと思い出したのはお大師堂のことである。

今年もきっと咲いていることだろう。

年明けの2日に初詣に行ったきりずっと足が遠のいている。

花枝の管理も怠りなんと無責任なことだろうか。

最初のうちは気になって仕方なかったが月日が経つうちに

「まあいいかな」と思うようになってしまったのだった。

なんと罰当たりなことだろうと今更ながらに思う。

足の痛みのせいにするのは卑怯なことなのかもしれない。

しかし実際のところ河川敷に車を停めて歩くのが辛くなっている。


浜木綿の花は人影に似ていてお遍路さんの姿と重なった。

これまでお大師堂でどれほどの出会いがあったことか。

あの日あの時と思う一期一会がとても尊く思えてならない。





今日は待ち兼ねていた松下さんからの感想が届いた。

漠然と思ったのは私はいったい何を求めていたのかと云うこと。

決して期待外れではなかったが張り詰めていた糸が一気にしなり

ゆらゆらと揺れながら繋がっているような感触であった。

結論から言うとこのまま私が成長することはあり得ないと思う。

学ぶところまで到達しない。うまく表現できないけれど

たとえば私が学生だったとしてひたすらノートを取っているが

そこから何を学べば良いのか理解し難いような感触である。

「ここが駄目なんですよ」「こんなんじゃ詩とは言えない」

それくらいの厳しさがなければ私は成長できないと思う。


ただ嬉しかったのは松下さんがしっかりと私の詩を読んでくれたこと。

読んでくれたからこそ感想を述べてくれたのだと思う。

読みもしないのに感想は言えるものではないだろう。

それだけでも通信教育を続ける意義があるのではないだろうか。


先日ここに博打のようなことだと書いたがもう勝負は始まっている。

決して勝ち負けではないが私は賭けているのだった。


66歳の老いぼれがである。若い頃のように感性もない。

はっとするような魅力もなければ美しい言葉も綴れない。

それでも必死の思いで生き永らえようとしているのだった。


私はよくそれを「この道」と表現するが

信じていなければどうして歩むことが出来ようか。




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