連日の小春日和。猫は日向ぼっこをし蝶々が飛ぶ。
まるで天国のようだと思うのだが母からは便りがない。
今朝は出勤前にぽらぱらと高知新聞をめくっていたら
先日投稿していた「母の冥銭」が掲載されていた。
いつも夫が先に読むのだが見落としてしまったのだろう。
読まれたら照れくさいのでバレないうちにと切り抜いてしまった。
題名は「お母ちゃんへの一万円」と変えられていたが
それではまるで子供の作文ではないかと可笑しかった。
本文はそのままではあったが難しい漢字はひらがなになっており
おそらく小学生でも読めるようにと配慮されたのだと思う。
「三途の川」が「さんずの川」に「忽然と消えた」が「こつぜん」に
少し違和感を感じたがそれよりも掲載されたことが嬉しかった。
小学生が読んでくれたらもっと嬉しいのだが一握りであろう。
いつも新聞をチェックしてくれている親友からメール。
久しぶりだったので折り返し電話をしてみた。
どんなに離れていてもまるで昨日も会ったように話す。
中学の時の恩師からも電話があった。読みながら泣いたそうだ。
その言葉を聞いて私も涙ぐんでしまった。
母の死にも涙一つ流さなかったのに不思議なものである。
恩師は母よりも高齢であり「先生、長生きしてね」と伝える。
職場のすぐ近くに住んでいるので近いうちに会いに行こうと思う。
帰宅してSNSをチェックしていたら母がお世話になっていた
病院の介護士さんがなんと新聞記事をそのまま発信してくれていた。
病院の皆さんも読んでくれたらいいなと思っていただけに
感動で胸がいっぱいになった。なんと有難いことだろうか。
私は自分の新聞記事など発信出来なかったと思う。
小心者ではないかもしれないがなんとなくおこがましいのだ。
得意顔も出来ない。自慢するようなことではないのだと思う。
自分の「作品」と云って良いのかそれもおこがましいが
一喜一憂することがとても多い。
落選は日常茶飯事のことである。もうそれにも慣れてしまった。
そのくせプライドが高いので酷く傷つけられたように思う。
諦めたらそれでお終いと自分を励まし続けているが
どちらかと云うと「負け組」なのではないだろうか。
書きたい気持ちは常にある。それだけが救いなのかもしれない。
最期の日がいつなのか分りもしないがその直前まで書きたいと思う。

コロナ発症から4日目の義父。今日も微熱が続いていた。
少し弱気になっており母が連れに来ているとまで言う。
そんなことは絶対に在り得ない。母はきっと見守ってくれているはずだ。
明日はどうか熱が下がっていますように。そればかりを祈っている。
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