今朝は放射冷却で厳しい冷え込みとなる。
しかし不思議なものだ。寒さに慣れてしまったのか少しも苦にはならず。
日中との寒暖差にも身体はしっかり順応しているようだ。
29年目の阪神忌。能登大震災と重なり記憶が積み重なるようだった。
誰もが二度とあってはならないと思ったことだろう。
しかしその後の東日本、熊本と地震は後を絶たずにいる。
そうして多くの尊い命を奪ったことを忘れてはいけない。
私はやはり不安神経症なのか恐怖心が募るばかりだった。
何をしていても今地震が起きたらと考えてしまうのだ。
今もそうだ。気分は落ち着いているようでも不安でならない。
地震イコール死では決してないはずだが死をとても身近に感じている。
家が圧し潰される。津波に吞み込まれる。
私はいったいどんな死に方をするのだろうか。
なんとしても命だけは守りたいが果たしてそれが出来るだろうか。

同僚が通院のため工場は午後から開店休業となった。
義父も農作業に出掛け事務所で独り留守番をする。
事務仕事も一段落していたので自分時間を頂くことにする。
参加している同人誌の締め切りが近づいているため
この2ヶ月の間SNSで発信していた短歌をワードに移す。
なんと自分でも驚いたが全部で160首もあった。
同人誌に発表できるのはその内の16首である。
それが簡単なようで難しく読み返すとろくな短歌がない。
下手な鉄砲も数打てば当たると云うが当たりどころではなかった。
頭を悩ませながらなんとか16首を選んだ。
仕事時間中に心苦しくもあったがお許し願いたいと思う。
詩も毎朝書いているので60作程あったがこれは行き場がない。
同人誌の代表者から詩の掲載を許されていないのだ。
その代表者が選者をしている高知新聞詩壇に何度か投稿したが
ことごとく落選となっている。私の詩は認められることはないだろう。
口惜しさをバネにするべきだが私はそれほど強くはなかった。
儚く消える運命だと思えばそれもまた詩になるほど切ないものだ。

3時に義父が帰って来てくれて留守番から解放される。
義父は昼食も食べないまま頑張っていたようだ。
すぐに帰る訳にも行かず少し会話を交わしてから帰路に着いた。
サニーマートで例のごとく半額品を漁る。
今日は蛸とめじかの生節を仕留めた。
蛸は胡瓜と若布で酢の物に。めじかの生節は明日の朝のおかずである。
メインは一口カツにした。豚肉のもも肉が3パックで千円ほど。
野菜はブロッコリーを買い塩茹でにしてマヨポンで食べることに。
帰宅したらあやちゃんが珍しく階下に居て「ただいまぁ」と言ったら
「おかえりぃ」と応えてくれてなんとも嬉しかった。
早速夫に話したら昼間も茶の間でしばらく一緒に過ごしたそうだ。
何となくだけれど光が射し始めたように感じる。
まだ少しずつだが何かが動き出しているようだ。
「必ずや出口はあると信じたい長いトンネルあともう少し」
お粗末ではあるが今日の一首である。
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