二十四節気の「清明」すべてのものが清らかで生き生きとする頃。
空は雲一つなく澄み渡り爽やかな風が吹き抜けていた。
陽射しを浴びた桜の花がきらきらと輝いて見える。
何と清々しいことだろう。一年で一番好ましい季節であった。
山道の集落に在る良心市には「タラの芽」と「新玉葱」が並んでいる。
タラの芽は好きだがつい先日食べたばかりなので今朝は新玉葱を買う。
三個で百円の安さである。何と有難いことだろうか。
それも新鮮で葉が生き生きとしており朝採りに違いなかった。
辺りは見渡す限りの畑である。つい玉葱は何処だろうと探してしまう。
すぐ傍らの民家には芝桜が植えられておりまるで花の絨毯のようであった。
畑仕事をしながら花も育てているのだろう。その優しさが伝わって来る。

仕事は今日も順調とは云い難く困難な事ばかりであった。
昨日私が引き取って来た車も不具合が多く同僚が頭を悩ませていた。
義父の助けが欲しかったが今朝も早朝から田んぼに出掛けている。
おまけに今日は親戚のお葬式があり参列しなければならなかった。
義父の妹に当たる叔母のご主人が亡くなったのだが
癌を患っており長い闘病生活送っていたのだった。
養生相叶わず残念でならないが叔母はどれ程気を落としていることか。
日頃から朗らかな叔母だけにその心痛を気遣わずにはいられない。
お昼前になっても義父が帰らずお葬式の時間が気になるばかり。
義父の姉に当たる伯母に訊いたら1時45分からなのだそうだ。
それならば十分に間に合うだろうとひたすら帰りを待っていた。
間もなく義父が帰って来たが朝食も食べていないとのこと。
伯母がお弁当を届けてくれており大急ぎの昼食であった。
30分もしないうちに喪服に着替えた義父が出掛けて行く。
田んぼの作業がまだ残っていて気が気ではない様子であったが
義弟が亡くなったのだ。少しでも叔母の力になって欲しいと願う。
週給の同僚のお給料を何とか整え3時に退社した。
新玉葱が手に入ったので今夜は「親子丼」である。
後は冷凍餃子であったが夫が「そろそろ手作り餃子が食べたい」と云う。
それをきっかけに娘に再就職の話を切り出してみたが
「なんで?」と話を逸らそうとするのだった。
母にも母の心構えが必要であり予定だけでも知りたいことを話すと
全く相手にしてくれず笑って誤魔化すばかりであった。
それはまだ何も決めていないと判断するべきなのだろうか。
猶予期間があるのならそれに越したことはないと思う。
友達の家に遊びに行っていためいちゃんが帰宅したが
昼間娘と美容院へ行っていたそうで長い髪をばっさり切っていた。
我が孫ながら何と可愛らしいことだろう。まるで市松人形のようである。
残念ながらあやちゃんは行きたがらなかったようだ。
とにかく家から一歩も外に出ようとはしないのだった。
「あやちゃんも切ったら良かったのに」その一言が云えない。
なんだか腫れ物に触るような夕暮れ時となってしまった。
けれどもにこにしながら親子丼を食べている姿の微笑ましいこと。
まるで「私はわたし」と胸を張っているように見えた。
「その時」はきっと訪れるだろうと信じて止まない。
春風が待っている。もう直ぐ13歳になろうとしている少女のことを。
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