概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。
まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。
朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。
一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。
鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。
それでこその良心市ではないだろうか。
ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。
毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。
昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。
アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが
昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。
ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。

義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。
昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。
とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。
そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。
無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。
まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。
お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。
もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。
順調に行けば8月には新米が獲れるが
まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。
「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。
30キロの玄米は精米すると25キロとなるが
それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。
世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。
義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。
2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。
実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。
痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。
療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。
足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。
無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。
私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。
随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。
だましだましの日々が続いているようにも思うが
自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。
しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。
そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。
騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。
※以下今朝の詩
バトン
緑濃く艶やかな葉に 花芽を添える季節だ
夏が立ち春を仕舞えば 花達はそれぞれの手に 渡すバトンを持っている
朽ち果てた花もあろう 目を反らす人も多いが 見届けてやらねばならない
最後の力を振り絞って 震える手でバトンを渡す
受け取ったからには 花として生きるしかない
夏の花はその健気さを 真心として愛に変える
バトンを握りしめていた そうして始まる夏がある
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