ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月10日(土) 雨がやんだら

雨上がりの朝であったが思うようには晴れず

曇り空のまま一日が暮れようとしている。

夕風の何と心地良いことだろう。

まるで風が歌っているようである。


朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。

今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。

読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。

とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。

寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。

ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。

死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。



夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。

四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので

サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。

2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。


夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。

母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。


母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。

花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。

カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。

私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。


息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。

S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。

我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。

「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。

私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。

母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。



失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに

どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。

失って初めてその大切さに気付くことだってある。

最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。

思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。

私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。

中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。

今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。


※以下今朝の詩


        雨がやんだら


      むかしむかしのこと
      雨がやんだらお別れなのね
      そんな歌があった
  
      多感な14歳の少女には
      どうして別れてしまうのか
      男とか女とかよく分からず
      けれども哀しい歌だなと思った

      雨がやんだら男は出て行く
      濡れたコートと濡れた体で
      そう約束していたのだろう
      女は黙って涙を呑んでいた

     「終わる」ことを知ったのは
      それから三年後のことだった
      恋の詩を書き綴ったノートは
      もう誰にも読んでもらえない

      雨がやんだら雲が遠ざかり
      切り絵のような青空が見える

      まるで天使のような陽射しが
      降り注ぐ瞬間を見たのだった





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