午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。
夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。
生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。
今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。
見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。
私は黒い服を着ており母になじられていた。
その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。
ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。
「母の日」が頭から離れないのだった。
少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。
それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。
嫁いでからもう一人母が出来たが
貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。
それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。
感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。
今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。
粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。
義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。
どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。
我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが
この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。
「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。
甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。
ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。
母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。
過ぎた日は変わらず心に残り続けているが
恨んではならず嘆いてもいけない。
私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。
※以下今朝の詩
母の日
母に会う 夢だとは思えないほど 母は生きていた
どうして「母の日」があるのか 13歳の少女には恨めしく 何と寂しい日だったことか いっそ死んでしまえばいいと 突き放すことしか出来なかった
歳月は流れるばかり 幾つもの季節を乗り越え もう何度目の夏だろうか
本当に母は死んでしまった 私がコロシテシマッタのか 心の底から赦すことをせず 母も詫びることをしなかった
母はどうしようもなく女だったのか 子を捨ててまで貫いた人生である
母の日は辛く寂しい なのにどうしてこんなにも 母が恋しいのだろうか
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