ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月11日(日) 夢で会いましょう

午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。

夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。


昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。

生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。

今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。

見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。

私は黒い服を着ており母になじられていた。

その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。

ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。


「母の日」が頭から離れないのだった。

少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。

それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。



嫁いでからもう一人母が出来たが

貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。

それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。

感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。

今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。


粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。

義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。

どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。



我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが

この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。

「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。

甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。

ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。

母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。


過ぎた日は変わらず心に残り続けているが

恨んではならず嘆いてもいけない。

私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。


※以下今朝の詩


           母の日

        母に会う
        夢だとは思えないほど
        母は生きていた

        どうして「母の日」があるのか
        13歳の少女には恨めしく
        何と寂しい日だったことか
        いっそ死んでしまえばいいと
        突き放すことしか出来なかった

        歳月は流れるばかり
        幾つもの季節を乗り越え
        もう何度目の夏だろうか

        本当に母は死んでしまった
        私がコロシテシマッタのか
        心の底から赦すことをせず
        母も詫びることをしなかった

        母はどうしようもなく女だったのか
        子を捨ててまで貫いた人生である

        母の日は辛く寂しい
        なのにどうしてこんなにも
        母が恋しいのだろうか


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anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

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