ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月12日(月) あざみ嬢のララバイ

朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。

日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。

けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。


朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。

どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。

特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。

野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。

そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。

もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。

花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。




さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが

義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。

車検の予約が入っており同僚と段取りをした。

先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず

同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。

その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。

私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。

けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。

同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。


車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。

後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。

無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。

明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。


買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。

お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。

娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。

注目の大の里と高安の取り組みであった。

一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。

大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。

晩酌はしているがまるで子供のようである。

夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。

夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。

男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。


この日記を書き始めた時には茜色の空だったが

一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。

星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。


ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。

今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。

「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。

どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。


※以下今朝の詩


          夏草

       花園の雑草は刈られ
       毒を撒かれることもある

       若い緑であった
       陽を浴びて輝く
       背伸びなどせず
       等身大で生きる

       名はあるのだが
       夏草と呼ばれた
       生い茂ればもう
       真夏にもなろう

       うつくしい花達
       自信にあふれた
       その姿を見れば
       惨めにもなるが
       嘆くことはない

       在りのままを貫く
       刈られても残る根

       その根こそが命である


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