ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月19日(月) 崖っぷちの豚

明るい曇り日。気温は夏日となり今日も蒸し暑くなった。

山里の郵便局ではもう冷房を。役場や農協ではまだなので

節電を兼ねて窓を開け放し自然の風に吹かれていた。

そんな我慢も今月いっぱいではないだろうか。


ツツジの花はすっかり朽ち果ててしまったが

ここ数日の間にサツキの花が咲き始めている。

両者はよく似ていて見分けがつき難い花だが

春に咲くのがツツジ。初夏に咲くのがサツキである。

それとツツジよりもサツキの方が小ぶりの花だった。


我が家には土の庭がなくどちらも縁がないのだが

かつて姑さんの畑だった場所にかなり大きなサツキの木がある。

かれこれ40年程昔のこと近所に住んでいた伯父に貰った木だった。

盆栽が趣味の伯父が植え替えをしており間引いた苗を捨てると云う。

まだ小さな苗だったが一輪だけ花を付けていた。

捨てるには憐れでならず「私にちょうだい」と貰ったのだった。

さて何処に植えようと辺りを見回し姑さんの畑の隅に植える。

畑には邪魔にならないだろうと思ったのだが

姑さんはあまり良い顔をしなかったのを今でもよく憶えている。


歳月を経て小さな苗は立派な木となり毎年花を咲かせてくれた。

伯父は20年程前に亡くなったがまるで形見のように思っている。

誰かが刈らない限りは私の死後も咲き続けるだろう。





さあ月曜日と鼻息も荒く山里の職場に向かう朝だった。

例の良心市に「そら豆」が沢山並んでおり迷わずに買う。

塩茹でにして食べるのが好きで買わずにはいられなかった。

わくわくと嬉しくてならない。助手席のそら豆と一緒に出勤である。


義父は昨日また友人達に助けられ田植えを済ませたようだった。

最後の田植えは来月らしくしばらくは骨休みが出来そうである。

工場の仕事の段取りもしてくれてどれ程助かったことだろう。

しかし精神的なストレスだろうか同僚が胃痛を訴えていた。

あまりの忙しさに義父の指図を受けてパニックになったようだ。

早退させてやりたかったが義父の手前それが出来ない。

胃薬を飲ませ様子を見ていたが午後はかなり辛そうであった。

同僚に限らずマイペースが一番であるが思うようにはいかないものである。


来客があったが3時に退社。後のことは義父に任せた。

エアコンの修理が2台。今年も「エアコン祭り」が始まったようである。

こればかりは義父の専門でお神輿を担いでもらわなければならない。


4時に帰宅。夫と大相撲を観るのが楽しみであった。

大の里が9連勝。このまま一気に横綱になって欲しいものだ。

しかしまだ24歳の若さである。どれ程のプレッシャーかと気遣う。



明日はあしたの風が吹くらしいが私はいつだって心細い。

明日は特に大口の支払いがありどうなることやらと頭を悩ませている。

なるようになるらしいがいったいどんな結果が待っているのだろう。

まるで追い詰められた「崖っぷちの豚」のようである。

ぶーぶー泣き叫んでも誰も助けてはくれないのだ。

そうなればもう立ち向かうしかない。豚の腕の見せ所である。

筋肉だか脂肪だか見分けはつかない腕だが私はけっこう逞しい。



※以下今朝の詩

          糸

     強くなったり弱くなったり
     かつては真綿だったらしい

     縒り続けていれば糸になり
     いまわたしの手元にある

     陽に当ててみたり
     水に濡らしてみたり
     試行錯誤を繰り返せば
     よほど堪えるのだろう
     切れてしまいそうになる

     息を吹きかけてみる
     指先でなぞるように
     その存在を確かめる

     些細なことなのだろう
     どれほど大切にしても
     弱くなれば途方に暮れ
     強くなれば希望になる

         






 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加