西日本は梅雨明け。湿度が低くからっとした暑さとなる。
6月に梅雨が明けるのは観測史上初めてのことらしい。
最も短い梅雨となり「空梅雨」とも云えるだろう。
稲を始め農作物に影響がなければ良いのだが心配である。
ヤマモモの季節となり昨年までたわわに実っていた光景が目に浮かんだ。
何気なく伐採された木を見るとぽつんと一個だけ紅い実が成っていた。
切り株から少しずつ枝を伸ばし何と健気で逞しいことだろう。
数年経てば元通りの木になりまた沢山の実を付けるのに違いない。
生きてその日を見たいと思う。そんな命の励みにもなった。

同僚が通院のため午前中は開店休業であったが
義父はエアコン修理を始めており一人忙しくしていた。
しかし取り寄せていた部品に何故か損傷があり使い物にならない。
部品屋さんが直ぐに交換の段取りをしてくれたが入庫は来週とのこと。
義父はこれ幸いと思ったのか早速に稲の消毒に出掛けた。
それがまるで子供が遊びに行くように見えて微笑ましくてならない。
エアコン修理は義父しか出来ずどれ程頼りにしていることか。
昨年もそうだったが今年も修理の依頼が多くなりそうだ。
午後は来客もあったりで忙しく3時前に退社する。
「華金か」と呟いていた。心身ともにぐったりである。
特に義父とのやりとりには気を遣うことが多い。
話はいつも諄く決して反論してはいけなかった。
「あと10年か」とまた呟く。何だか気が遠くなるばかりである。
けれどもゴールが見えただけでも良しと思いたい。
一歩一歩前進するしか道はないのだから。
買い物を済ませ4時に帰宅。肩の力が一気に抜ける。
「大岡越前」を見ようと茶の間に行ったら「銭形平次」になっていた。
夫の説明によると21年前の時代劇とのこと。
以前にも見た記憶があったが新シリーズのようだった。
平次役は村上弘明で私と同い年である。
だとすると48歳でまだまだ若い頃であった。
48歳の私を思い出そうとしたがまるで白紙のページである。
明日には21年前の日記を読み返すのも良いかもしれない。
娘と肩を並べて夕食の支度をしていたら
夫が娘を見るなり「若返ったな」と声を掛けていた。
今日は美容院へ行っていたそうで茶髪のボブが良く似合っている。
「おいおい君たち私を見て」と声を上げずにはいられない。
そうしたら娘と夫が馬鹿にしたように大笑いするのだった。
おそらく若返ってはいなかったのだろう。ふん何さと呟く。
今度美容院に行ったら茶髪にしてみようと本気で思った。
何はともあれ楽しい我が家である。
夕食時やはり今夜も孫達の姿が見えなかった。
娘婿が夕食をトレーに載せて二階へと運んでいるのである。
そこで要らぬ口を叩けば楽しくない我が家になり兼ねない。
老婆はひたすら口を閉ざす。そうして見守る日々であった。
午後7時45分。久しぶりに夕焼け空を仰いでいる。
明日も良く晴れて厳しい暑さになるのだそうだ。
猛暑が酷暑になる日も近いことだろう。
それ位のことでくたばるわけにはいかない。
終らない梅雨がなかったように終らない夏もありはしない。
私だって終るのだ。そればかりはどうしようも出来ない。
※以下今朝の詩
道
行きつ戻りつであった 道は遥か彼方へと続き 終りなど見えやしない
倒れ息絶えるやもしれず 心細くてならないけれど 空が在る限りと歩き続ける
名も知らぬ花であった 道端には草の花が咲き 石ころだって転がっている 風は吹き抜けるばかり 陽は真夏の顔をしている
この道でいいのだろうか 誰も教えてなどくれない
曲がりくねっている まるで試されているようだ 諦めてしまえばどんなにか 楽になることだろう
息だけが頼りであった この命あってこそと思う
一歩進んで振り返ると 歩いて来た道が輝いていた
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