ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月16日(水) ひとつきりの「道」

晴れのち曇り。午後は少しだけにわか雨が降る。

明日からしばらくはまた戻り梅雨になりそうだ。

猛暑は和らいでいたが全国的には猛暑の地域が多く

新潟県では38℃を超えていたそうで驚く。

真冬は大雪で真夏は猛暑と自然の何と厳しいことだろう。


夫の術後診察のため今日も県立病院へ。

8時半の予約だったので少し早めに家を出た。

待合室の患者さんは昨日手術をした人ばかりで

顔なじみになっており和やかな雰囲気が漂う。

しかし術後の経過は人それぞれらしく芳しくない人もいた。

夫は幸い経過が良く何よりに思う。

眼帯を外せば眼鏡も掛けられるようになり夫も落ち着いたようだ。

待ち時間も僅かで9時半にはもう診察が終わっていた。

夫が「俺が運転する」と云い何と頼もしいこと。

助手席に座ると一気に緊張が和らぎほっと帰路に就く。


夫が「握り寿司を食べたい」と云うので買って帰る。

ビールも飲みたいだろうと小さな缶ビールも買った。

お昼には「お祝いだ」と云ってそれは嬉しそうに喜んでいた。

これでしばらくは目の心配はなかったが

数年経てば再発も在り得るのだそうだ。

夫は緑内障の治療もしており今後も眼科に通い続けなければならない。


二日も仕事を休んでしまったので職場が気になっていた。

同僚に電話して修理完了のお客さんに連絡をする。

義父は田んぼに行っているらしく留守のようだった。

明日からまた仕事である。連休前なので忙しくなることだろう。

気負わずぼちぼちと出来ることを頑張らねばならない。


一安心の一日であったが今日が谷なら明日は山だろうか。

いったい何時になったら野辺の道を歩けるのだろうと思う。

大空を仰ぎ野辺の花を愛でることなど何だか夢のようである。


それでも嘆かずに歩み続けて行かなければならない。

山だろうが谷だろうが自分に与えられたひとつきりの「道」である。


※以下今朝の詩


      うなぎ

 学校から帰ると
 母が七輪で鰻を焼いていた

 それはほぼ毎日の事で
 母は得意顔である

 四万十川の中流域の山村のこと
 母は地元の川漁師さんに
 「ころばし漁」を教わったのだ

 竹で編んだ筒に餌のミミズを入れる
 そのミミズを捕まえるのも日課だった

 母はまだ二十代の若さである
 面白くてならなかったのだろう
 何と明るく朗らかだったことか

 獲って来た鰻を捌くのも上手だった
 にょろにょろと暴れまわるのを
 錐でえいやっと頭に一撃を加え
 するすると包丁を滑らせていた

 子供心に母は天才だと思った
 鰻屋さんになるかもしれない
 きっと大繁盛することだろう

 こんがりと焼けた鰻の美味しいこと
 毎日食べられて何と幸せなことか

 夏が来るたびに思い出す
 その光景はまるで絵日記のようだった






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