風もあり爽やかな晴天。蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
娘が「トルコ桔梗」の苗を買って来ており庭先に植えてくれていた。
洗濯物を干しながらうっとりと眺める。花のある暮らしは心が和む。
台風5号は襟裳岬付近に上陸しオホーツク海で熱低になったようだ。
被害は無かったのだろうか。何の報道もない朝である。
関東に上陸していればきっと大騒ぎをしたことだろう。
大気が不安定なため各地でゲリラ豪雨もあったようだ。
日本中が穏やかな一日になるのはいったい何時のことだろうか。

夫が「白内障」の手術をするため朝からそわそわと落ち着かない。
術後は車の運転が出来ないため家族の付き添いが必要であった。
7時過ぎに家を出て7時半過ぎには宿毛市内の「県立病院」へ着く。
今日は5名の手術があるらしく夫は2番目である。
5分おきに目薬を差したり点滴もしなければならなかった。
9時過ぎには車椅子で手術室に向かったが何と早いことだろう。
手術は30分足らずで終りあっという間のことであった。
それだけ簡単な手術なのだろうが術後の何と痛々しいこと。
手術をした左目には大きな眼帯をしており眼鏡も掛けられない。
近視の夫にはそれが一番辛かったようだ。
手術費用は6万円程だと聞いていたのだが何と8千円で済む。
間違いではないかと思ったがそれ以上の請求はなかった。
もしかしたら行政の高額医療の対象になっていたのかもしれない。
それはそれでラッキーなことでどれ程家計が助かったことだろう。
帰宅後は安静に。眼鏡が掛けられないのでテレビもまともに見られない。
それでも大相撲は見たくてならず結びの一番まで見ていた。
その頃から左目が痛み始め頓服薬を服用する。
お風呂はシャワーも駄目。晩酌のビールも駄目であった。
憐れであったが今日一日の辛抱である。
明日には診察があり順調ならば眼帯も外せるそうだ。
まだ車の運転が出来ないので明日も私が付き添う予定である。
どうか経過よく日常の暮らしに戻れることを願って止まない。
右目の手術をしたのは20年程前だったか。
夫も私もすっかり記憶が薄れておりよく思い出せない。
ただその当時は高知市内の大学病院で手術をし入院しなければならなかった。
たかが白内障と思うが当時はそれ程大掛かりな手術であった。
医学は進み今では日帰り手術である。
高齢者の白内障患者は年々増え続けているようだ。
私も明日は我が身なのかもしれない。
平穏無事を祈り続けていてもいつ何があるやら分からない世の中である。
突然の災害や事故は避けられず不慮の死を招くこともあるだろう。
病気は日頃からの心掛けで防ぐことは出来るかもしれないが
脳卒中、心臓発作となればもう待ったなしである。
出来ることならば「生きたい」長生きをしたいと願う。
しかし「命の蝋燭」をこの目で見ることは出来ない。
※以下今朝の詩
空白
まるかいてちょん また空白がやって来た
ノートなら破って捨てるが パソコン画面はそうはいかない
妊婦の陣痛のように波があり もう嬰児の頭が見え始めている 息を大きく吸って力むしかない
他の誰が母になれよう 最初に抱けるのは私である
産声を記さねばならない 泣きながら生まれて来た その命のあかしをである
決して悪戯書きではない 今生まれたばかりの 「言の葉」と名付けよう
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