ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月12日(火) 秋の気配

曇りのち晴れ。久しぶりに30℃を超え真夏日となった。

けれども入道雲は見られず鰯雲に少しだけ秋の気配を感じる。

毎年お盆を過ぎると過ごし易くなるのだが

今年は9月までも猛暑が続くらしい。

せめて「処暑」までと思うが夏が潔く退くとは思えなかった。


熊本や長崎、石川と豪雨災害の報道が流れ心を痛めている。

その上に停電や断水も起きているようで何と気の毒な事だろう。

自分達がどれほど恵まれているかを思い知るばかりであった。

とても他人事ではなく明日は我が身だと思わずにいられない。



三連休をやっと終え待ちに待った仕事であったが

もう取引先もお盆休みになっており部品屋さんも休みになっていた。

幸い故障車は入庫していなかったがする仕事がないのは困ったものである。

忙しいのは義父ばかりで明日こそは稲刈りをすると興奮気味であった。

準備万端となったからには何としてもと応援せずにはいられない。

お天気は晴れの予報だがにわか雨が降るかもしれないとのこと。

そうなれば忽ち機嫌が悪くなってしまうだろう。

どうか順調に。空に手を合わすしかなかった。


事務仕事も特になく電話も鳴らない。

来客も一切なく暇を持て余していた。

同僚に留守番を頼みいつもより早く2時に帰路に就く。

サニーマートに寄れば凄い人で溢れ返っていた。

帰省客が居るのだろう皆さんてんこ盛りの買い物である。

お刺身用の魚の何と高いことだろう。

娘達には我慢して貰おうと安価なカマスを6匹買って帰る。

塩焼きにすれば美味しく夫と私はもちろん食べたが

娘達は箸も付けず何ともやり切れない気持ちになった。

毎晩お刺身とはいかないのだ。どうして分かってくれないのだろう。

「まあいいか」とお気楽にはなれない。

くよくよといつまでも思い煩うのが私の悪い癖であった。



今朝は夜明け前に若くして亡くなった伯母の詩を書いた。

そのせいだろう伯母の笑顔が目に浮かび懐かしくてならない。

同時に伯母が憐れでならず何と不運な人生だったのだろうと思った。

それは祖母が半身不随になった直後の事だったのだ。

「お母ちゃん」といつも祖母を呼んでいた伯母は

母親だけが頼りの「こども」だったのに違いない。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    笑顔

 母には姉が居た
 「はじめ」と云う名で
 「はじやん」と呼んでいた

 幼い頃に高熱が出る病気になって
 脳を患い知恵遅れになったそうだ

 小学校へも行けなかったらしい
 でも字を書くことも読むことも出来た

 ずっと8歳くらいだったのだろう
 どんなにおとなになっても
 こどものままでいられたのだ

 泣きたい時もあったはずである
 辛い時もあったのにちがいない

 けれどもいつも笑顔を絶やさず
 にこにこと優しいはじやんだった

 ある冬の夜の厳しい寒さのなか
 はじやんは家出をし行方不明になった

 真っ暗い山道はどんなにか怖かったことか
 はじやんは冷たい谷川に素足を浸し
 そのまま息絶えていたのだった

 こどもではなかったのだとおもう
 そうでなければどうして死を選んだろうか

 半世紀近い歳月が流れたが
 はじやんの笑顔は私の心に残り続けている





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