晴れの天気予報が外れてしまい曇り空の一日となる。
洗濯物係の夫が「乾くろうか」と心配していた。
陽射しは無かったが気温は21℃まで上がり暖かい。
風も殆ど無く過ごし易い一日であった。
明後日には大寒波とのこと。朝のうちに冬布団を出す。
陽に干したかったが叶わずそのままベットに設えた。
冬物の衣類も出さねばならずそこそこの家事である。
たまには主婦らしいこともしなければならない。
午後は2時間程寝て後は自室で過ごしていた。
あまり寝過ぎると夜に響くようだ。
昨夜も熟睡出来ず嫌な夢ばかり見ていた。
昼寝もそこそこでなければいけないのだろう。
自室に居ても本を読むわけでもなく
SNSばかりを見ていた。
八丈島の断水が完全復旧したとのこと。
やっと目の前が明るくなったように思うが
まだ倒れた家屋や道路の復旧が残っているようだ。
自衛隊は帰ってしまい後は島民の力でやり遂げなければならない。
詩や短歌の投稿も目立つ。中にははっとするような素晴らしい作品もあった。
有名な詩人さんではなくても無名の才能におどろく。
私と同じようにひっそりと書き続けている人が居るのだった。
もちろん薔薇の花ではない。野に咲く野菊のような人である。
自室で過ごす時間はそれなりに有意義ではあるが
コーヒーを飲み過ぎ煙草を吸い過ぎるのが困ったものである。
特に煙草はひっきりなしとなり咳き込むことが多い。
情けないことだがその度に尿漏れもあった。
長生きはしたいが長生きをすればどうなるのだろうと思う。
来月には69歳になるが70歳の自分が怖ろしくてならない。
「これでは駄目だ」と思い夫が居る茶の間に行っても
そわそわと落ち着かず10分も居られないのである。
そうなればまた自室に戻り同じことの繰り返しであった。
午後4時なりやっと茶の間に落ち着く。
大相撲が面白く夫とわいわい云いながら観ていた。
夫はすっかり解説者気取りとなりそれも愉しくてならない。
とにかく一緒に過ごすことだ。まるで老夫婦の鑑である。
夕食は「すき焼き」だったが娘が準備をしてくれて助かった。
私はタレを味付けしただけで後は食べるだけである。
いつものように夫と先に食べ終えていたが
今夜も孫達の姿が無かった。その上に娘婿の姿も見えない。
娘が独りで食べていたから気になってしょうがなかった。
娘に訊けば干渉となる。老婆心は疼くが何も訊いてはならない。
夫とも話したが娘婿はよほど体調が悪いのではないだろうか。
先日の病院行きのこともあり心配は募るばかりである。
決して秘密ではないと思うが私達には話す必要がないのだろう。
それも複雑な気持ちなるがそっと見守るしかないようだった。
ひとつ屋根の下に暮らすふたつの家族である。
皆がひつになることはまず無くそれぞれに暮らし行かねばならない。
そう受け止めれば些細なことなのだろう。
この世は些細な事で満ちているのかもしれない。
※以下今朝の詩
通夜
夜中に怖い夢を見ると 枕を抱いて父の布団に入った 大きな胸とたくましい腕 父はそうして私を守ってくれた
どうしようもなく歳月が流れ もう何度目の冬なのだろう
父は息をしなくなり冷たくなった
そんな父に添い寝をする 無言の夜は深くかなしい
夢なのかもしれないとおもう けれども少しも怖くはなかった
父は微動だにせず目を閉じている 唇を噛みしめるそれは無念なのだろう
私が守ってやらなければとおもう どうして父を独りぼっちに出来ようか
夜が明けて朝陽が射し始めた 「おとうちゃんおはよう」 声がこだまする何処までも遠くまで
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