朝の肌寒さもつかの間、日中はぽかぽかの小春日和となる。
紅葉が見頃とのこと。絶好の行楽日和であった。
玄関先の多肉植物に小さな白い花が咲く。
初冬に咲くとは思ってもいなかった。
何とも健気な可愛らしい花である。
おそらく越冬は無理だろう。
娘任せであるがやはり温室が必要に思う。
他にも花をと思うだけで苗を買い求めにも行かなかった。
パンジー、ビオラ、葉牡丹と思いを馳せるばかりである。
二週間ぶりのカーブスが何とも心地よかった。
余程身体が鈍っていたのだろう。薄っすらと汗を流す。
来週は仕事の予定なのでまた休まねばならなかった。
平日の午後は3時からなのだそうでいささか無理っぽい。
少しでも体力作りをと思うがその日の気分次第である。
父の22年目の命日であったが何も出来ず。
遺影に手を合わせ詫びるばかりであった。
未だお墓も無く遺骨は弟の家に安置してある。
弟も苦労をしていて納骨堂どころではないようだった。
姉である私が援助すべきだが経済的なゆとりは全く無かった。
父には本当に済まないと思うがきっと許してくれているだろう。
そう思うことで弟も私も安堵する日々である。
生前の父は弟の家に来ても玄関から一歩も家の中へ入らなかったそうだ。
その理由は定かではないが父にも複雑な遠慮があったのだろう。
その父が今は遺骨となり弟達家族と共に暮らしているのである。
決して寂しい思いはさせない。父にも家族が在るのだった。
そうして見守り続けてくれているのだと信じて止まない。
午後はひたすら寝て過ごす。夫に云わせれば異常とのこと。
今日は4時間も寝てしまい半日を無駄にしてしまった。
30分ほど自室で過ごしてから夕食のカレーを作る。
今夜はダンス教室があるので娘に頼るわけにはいかない。
作っていたら娘が気づいたのか台所に顔を見せてくれた。
そうして「ささ身カツ」を手早く作ってくれてとても助かる。
おかげで5時半には夕食が出来て娘達は予定通りに出掛けて行った。
最低限の家事である。これ以上もこれ以下もない。
家事に限らず私はいつも最低限を彷徨っているようだ。
「ぼちぼち」も好きだが最近は「そこそこ」が好きになった。
もう上を目指すこともないだろう。今の居場所が一番に思える。
今朝の朝刊に例の文芸賞の発表が載っていた。
やはり佳作には間違いなかったが一番最初に私の名が載っていた。
これでこそ「そこそこ」なのだと思う。
それなりの実力でありそれなりの評価なのだろう。
上を目指すことはある意味「欲」であり愚かな事にも思える。
そう思うとちょうど良い処に私が存在しているのだった。
書くことを諦めるつもりはないがこれからも「そこそこ」を目指したい。
身の程を知り過ぎた私であっても存在することは叶うのである。
※以下今朝の詩
独り
独りきりで在れば 何も求めはしない
ひとついっぽん ひとかけらである
薔薇の花束よりも 野菊がこのましい
どれ程の美しさであっても ひそやかな姿に敵いはせず 賛美の声は遠くなるだろう
かと云って偉ぶることをせず 身の程を知り慎ましく生きる
遠ければ手を伸ばすだろう 哀しければ涙を流せばいい
たったひとりのひとが きっと見つけてくれる
野に吹く風が冷たさを纏い 季節はもう冬なのに違いない
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