元旦。陽射しはたっぷりとあったが風が強い一日。
朝の寒さも清々しくきりりっと胸に響く。
明日はまた寒波到来とのこと。
高知県西部も雪が降るかもしれないのだそうだ。
あれ程怖れていた冬だが不思議と寒さに慣れて来た。
このまま春を迎えられたらどんなにか良いだろうか。
毎年恒例の家族新年会は中止。
元旦から仕事の息子が頼もしく感じる。
けい君は久しぶりにお母さんに会いに行ったようだ。
独りぼっちの元旦でなくて何よりに思う。
どんな境遇であっても母親ほど愛しい存在はないだろう。
夫と二人きりでささやかな新年会であった。
娘達はお婿さんの実家に行く予定だったが
実家のお母さんはめいちゃんと一緒に高知市へ出掛けていた。
お婿さんのお姉さんのお宅で年越しをしたのである。
予定外のことであり娘に新年会を申し出たが即却下された。
自分達だけでするからと全く聞く耳を持たない。
無理強いは禁物である。自由なのが一番だと思う。
「二人切りもええもんだな」と夫も気楽な様子であった。
義父の友人から電話があり昨夜から義父が電話に出ないとのこと。
昨年のこともあり心配が頭を過る。
私も直ぐに電話を掛けてみたが呼び出し音が鳴り続けるばかりであった。
夫は私の心配をよそに「二日酔いで寝ているのではないか」と云う。
義父ならあり得ることである。連絡が在るのを気長に待とうと思う。
2時間ほどしてから義父から電話がありほっとしたが
詳しい事情は何も告げずあっけらかんとしているのであった。
ともかく元気に新年を迎えられたようで何よりである。
夫のぎっくり腰が再発しており初詣どころではなかった。
しばらくは車の運転も無理だろうと寝正月を決める。
私も足が不自由になってからは一人では出掛けられない。
以前は必ず「延光寺」に行き裏山のミニ八十八カ所を巡っていた。
それが何だかとても遠い昔のことのように思われてならない。
もう二度と行くことは出来ないだろう。何とも切ないことだ。
せめて近くのお大師堂へと思うがそれさえも行動に移せなかった。
信仰心が薄れた訳ではなく私の気力が薄れてしまったのだろう。
いつのまにかあれもしようこれもしようと思えなくなった。
歳のせいにしてしまえばそれまでだが
諦める前にもう気力が萎えている。どうでも良いことに思えるのだ。
新しい年を迎えこれだけはと思う「抱負」もない。
かと云って夢も希望もない訳ではなかった。
とにかく生き永らえることである。
生きて全うしなければならないことがあるようだ。
雨の日も風の日も雪の日だって乗り越えていかねばならない。
※以下今朝の詩
朝
むくむくとしている これはなんだろうか
息をたしかめてみる 生きていますか?
いつもと変わらない朝 それなのに何かが違う
一歩目の朝なのだろう すくっと前を向くと 年越しをした冬の花が きりりっと咲いている
もうすぐ夜が明ける 陽はのぼり光が射す
その真っ只中で生きる 何もかもが新しくなり 「いのち」を謳歌する
生きていますか? もう振り向いてはならない 立ち止まってはならない
一歩目の朝である 希望の芽が春へと向かっている
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