雨上がりの晴天。最高気温が22℃まで上がり春の陽気となる。
四万十大橋を抜けて川沿いの国道を走ると
ちょうど目の前に朝陽が見えて眩しい程である。
川面はきらきらと輝いており光の水が流れていた。
毎朝見る風景であったが今朝は一段と心に沁みる。
その国道沿いを少し先に進むと大きな枇杷の木があった。
冬には花が咲いていたがそのまま実にはならないようだ。
薄緑色の葉の新芽がまた新たな花のように見える。
そうなればもうたかが木ではない。立派な春の風情であった。
伊豆田トンネルは長く途中から土佐清水市になる。
トンネルを抜けると桜並木が続いているが
ここもまだ咲いてはおらずふっと寂しさが込み上げて来る。
咲いて散れば切ないが固い蕾も同様であった。
国道を右折すれば県道の山道になるが
人家が見え始めると必ず良心市を覗くのが日課である。
今朝は待ちに待っていた「タラの芽」が並んでおり嬉しくてならない。
一パック百円の安さで二パック買い求めた。
朝採りらしく生き生きとしておりとても新鮮である。
春ならではの旬の味を堪能出来て何と幸せなことだろう。

仕事は朝から慌ただしく10時にはシステムサポートのO君が来る。
今日は整備ソフトのバージョンアップがありO君にお任せした。
それが思いのほかに時間を費やし4時間も掛かってしまう。
私は途中で抜け出し車の中でお弁当を食べたが
O君は昼食も食べずひたすら奮闘するのだった。
気遣えば朝食をしっかり食べたので大丈夫とのこと。
松山から山里まで3時間の道のりなので朝食も早かったことだろう。
松山には熟練の社員さんがいてリモート操作がとても便利だった。
その社員さんもお昼休み返上とのことで頭が下がる。
2時にやっと作業が終り新しいソフトを試してみたが
以前よりも機能が増えており大満足であった。
今の世の中はパソコン音痴では仕事にならない。
生前の母が口惜しがっていたことも今では懐かしい思い出となった。
工場の仕事も一段落しており同僚に声を掛け定時で終える。
一目散でカーブスへ向かい調子に乗るばかりである。
「すごいね、えらいね」の声に豚も木に登る有様であった。
4時半には帰宅していたが夫との「ふれあい」はつかの間
5時になると娘が「タラの芽の天ぷら」を揚げてくれた。
その揚げたてを夫が我先にとわしわしと食べる。
ストップを掛けたら不服そうな顔をしていた。
夕食後は「笠原メイ」さんの日記を楽しみにしていたが
今日はどうした訳か更新されていなかった。
体調が悪いのかもしれないと心配でならない。
誰にだってどんな日もあるものである。
明日はあしたの風が吹くだろうと諦めようと思ったが
もしやと思いSNSではなく直接日記にアクセスしてみた。
そこには確かに今日の日記が更新されている。
しかし余程ショックなことがあったのだろう。
酷く気分が落ち込み悲痛な重いが伝わって来た。
まるで日陰に咲く山野草のようである。
誰にも見つけて欲しくなどないと叫んでいるようだった。
そんな日記にどうして「見たよ」と伝えられるだろう。
そっと静かに見守ることが大切に思う。
「書く」と云う行為は心を曝け出すことに等しい。
毎日の日課なら尚更のこと書くことを諦めてはならないと思う。
どれ程の日陰であってもひっそりと咲く花があるのに違いない。
※以下今朝の詩
坂
ゆるやかな坂の途中である 息ばかりを頼りに歩いていた 時おり立ち止まっては空を仰ぐ
霞みがかった空には燕が飛び交い 遠い国の話を聴かせてくれる 辛くながい旅だったことだろう
花は桜うす桃色の風が吹く 背中を押してはくれまいか きっと辿り着けるように
生きることよりも 生きたことが愛しくてならない いったい何度目の春なのだろう
少女だった頃の罪を背負い 悔やみ続けた日々であった
坂はまだはるかに続いていて 遠ければ遠いほどに試されている
やがては下り坂になるだろう 確かな息にすがりつくように 希望の坂をのぼり続けている
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