【本日の出来事】 登園→帰宅→ママ友さんたちとブランチ→お迎え→公園で2時間遊ぶ →帰宅
私の里帰り前にまたお茶したいねー、って言う話が出ていたので、 いつもの「ちょっと普通とは違う子」持ちのママ友さんたちとお茶してきました。
当初はそれこそ子供の悩み事とか話してたけど、 最近は悩み事も話しつつも雑談に興じたり。 ママ友さんと旧友の皆様を比べたら(そもそも比べちゃいかんかもだが) そりゃもちろん旧友の皆様と会って喋ったりするほうがずっと楽しいですが 日常生活において他愛のない話ができる相手が複数いる、 というのも、また結構ありがたいことだなーと思います。はい。
しかし、だんだんとベクトルの違いは明確になってきたなあ…
私を含めて5名いるのですが、 他4名のお子さんたちは、全員会話は成立するんだよね。
あれができない、これができない、と、 その悩みの種類は異なれどそれぞれ特性から生まれている悩みで、 苦労心労は察して余りある、と思う。
でもなあ、言葉で意思疎通できてるからなあ…
遅延エコラリアであっても、
「発信したい」 「コミュニケーションを取りたい」
という気持ちの表れなんだから、喜ぶべきで、 内容はともかく遣り取りすること自体を重視すべし… とは先日のSTで言われたことですが。
わかっちゃいるけど。さ。
時々無駄だとわかっていても
「遅延エコラリア 消滅」 「遅延エコラリア なくなった」 「遅延エコラリア 5歳」
なんてワードで検索しちゃったりして自己嫌悪。 情報探しても意味ないのにねえ… しかも引っかかるのは、
「2〜3歳のとき頻繁にあったけど、 4歳のいまでは普通にお喋りてきています☆」 「心配しましたが無くなりましたよ。 年少のいまではものすごくお喋りです」
とかそんなんばかり。
うちの子来月5歳になるんですけどね…
いっそ
「息子君は普通に話すことはないでしょう」
とか誰かに断言してもらったほうが気が楽かもな。 もしくは私自身が「もうこの子に普通の会話を求めるのは無駄だ」と 諦めがつけば、少しは力が抜けるのかもしれない。
「こうすればいいよ」みたいな方法論なんてないし、 あったとしても息子に合うかどうかは分からない。
ママ友さんの中の二人のお子さんが 半官半民みたいなところで療育を受けていて その話を聞いていると、
「やっぱり受けさせたほうがいいのかな…」
と思ったりもするんだけど、 なんかそれもちょっと違う気もしたりして。 でも受けさせたほうがいいのかなー…
自分ばかりがこんな思いをしているのではないのは、 よくわかってるんだけどね。 他害や暴言等があるお子さんの親御さんも辛いだろうし、 友達の輪に入っていけないお子さんの親御さんも辛かろう。
昔は「人とは違うのがカッコいい」と思っていたし、 いまでもそれは一面の真実ではあるけれど、 それはあくまで「ある一定の枠内に置いて」なんだよな。 枠外にいるのに枠にコミットして生きていかねばならないのは、 実に実にしんどいことです。
ともあれ、
「息子も『暴言ばっかり吐いて!!』って言いたくなるくらい、 普通のお喋りができるようになってくれたらな」
と切なくなった一日でした。
お茶自体はなかなか楽しいんだけど、 この「会話ができない」辛さを共有できる人がいないのが、 ちょっと辛い。
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