泡沫の記
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2005年02月12日(土) |
寂寞たる思いから逃れて |
(mixiに書いた日記から転載)
人を好きになるというのはやっかいなものだ。 激しい恋をして身を焦がすような苦しみを味わうのはもう沢山だし、不毛である。好きだと思う気持ちは全て自己愛であったとようやく気がつくに至り、これからは精神的な結びつきなどを求めようとするのではなく、肉体的に満たされればそれで満足ではないかと思うようになった。互いに相手を拘束した付き合いでないのなら、これからはわざわざ一人の男だけと決めつける必要もないし、また相手に妻や恋人がいてもかまわないと思う。
いい男(外見を含む)とのsexはとてもいい。今までの私はいかに相手を自分に惹きつけようか悩んだけれど、そういう支配欲はいらないとようやく気がついた。 以前、知り合った男が「恋愛は必ず終わるがセクフレには終わりがない」と言ったが、ようやくその意味が理解できるようになった。恋愛は必ず終わるというのも、いまならわかる。そんな幻を追いかけて女としての残り少ない時間を悶々と過ごすより、より多くの人と出会って、いかに自分にしっくりくる相手を探すかが重要だと思う。そういう相手が現れればそれはそれでより楽しいだろうし、現れないとしても悔いはないと思う。縁があるなら、きっと会える。最初からこの人こそ、と決めつけないで自然にまかせるだけでいいのだ。
私は過去の経験を踏まえて最大公約的なsexをしているつもりだが、中には清水のMのようにぎりぎりまで出来るだけ触れないような愛撫を好む男もいれば、銀座のNのように激しすぎてこちらが過呼吸になるくらい濃厚な愛撫を好む男もいる。そんなことは相手次第でいくらでも変えられるし合わせることができる。相手の喜ぶことをしてあげたいと思えば、いくらでも演技出来る。逆に男たちは私がどこで悦んでいるのか見分けられないだろうしその点、女は得である。 今の私は過去の経験から創られたものである。少なくはない男の数というのは、褒められたものではないけれど愉しむことが出来るという意味においては、悪いことばかりではない。劣等感が人一倍強い私だけれど禄でもないsexばかりしてきた訳ではないことだけは、私は経験上よく知っている。だから男がどんなsexをするかでおおよそがわかる。つまらないsexしか出来ない男はその人間もまたつまらない。それはテクニックの上手い下手だけではない。想像力のようなものだろうか。sexは私が施すものでもなければ相手に抱かれるという受け身なものでもないと考える。その引き合い加減が丁度いい時のsexが一番尊い。
これから先に、お互いが望めば私はその人とだけ付き合うかもしれないし、それはその時に考えればいい。 性欲のためだけに見た目もよくてsexもわりかし上手な男をkeepしておくことは、さほど大変ではない。気持ちさえ割り切れば女の方がよっぽど簡単だ。付き合おうとするからややこしいことになるのであり、互いが(つまりは私が)割り切ってさえいれば気もラクだし何より溺れることもない。
ただ一つ、望まぬ妊娠だけは女が負うリスクである。元々妊娠というのは諸刃の剣だと思うのでリスクばかりではないけれど、私は心のどこかで望んでいた好きな人の子供が欲しいという夢は諦めた。不覚にも生まれなかった子に詫びる気持ちもあり、今後は付き合う相手が欲しいと言わぬ限り子は望まない。これも経験だが子を共有するというのは、いろんなことを諦めることである。少なくとも私はもう十分に味わったのだからもういいだろう。
先日、思いがけない場所から10年ほど前の写真が出てきて驚いた。写真に映る私は、今よりいくらか若くは見えるけれど、今よりよっぽど冴えないし野暮ったい。今よりオバサン度が高い。実際には十も年をとっているわけだから、いまの私は少なくとも10年前の私より進歩したのだと思う。経験が人を変える。年もとるのは悪いことばかりではないようだ。 20代の終わりから30代半ばまで全くsexをせず過ぎてきたことが今となっては信じられない。オバサン化するわけである。男の遍歴は離婚して増えたけれど(それまでが少なすぎた)、何も知らない、経験しない貧しい人生よりよっぽど豊かだと思うし、少なくとも私は良かったと思っている。1度きりの人生を卑屈に悲観してばかりいては、愉しみはやってきはしない。
女は7の倍数(男は8の倍数)が節目になると言い、女は7×7の49才で女から人になるという。まだ時間はある。それに人生の愉しみは決して男とのsexだけではない。性欲がなくなってからの愉しみとなるものも今のうちから手を着けたいと思っている。 ここのところまた熱を出して体調は決して良くはないけれど、臥床して生きる愉しみを見いだすことが出来たのだから、このような休養も決して無駄ではなかったのだと思っている。 ようやくそのことに気がついて、本当によかったと思う。
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