劇団:東京セレソンDX 作/演出:サタケミキオ 主演:宅間孝行
私が小劇団の中で一番大好きな劇団だった(過去形に…せつない) 東京セレソンDXの舞台を観にシアターサンモールに行ってきました。
以下あらすじ(っぽいもの) ※これから観に行く方は以降を観ない方が良いです。 今回はかなりそういう書き方をしています。
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舞台は神社のふもとにある茶屋。
男は一度死のうとしたことがあるところを その店のタマエに救われて一緒に暮らし始める。 しかし横浜に置いて来た自分の家族が忘れられず タマエとタマエの娘、マイコとは「家族」になりきれない。 そんなとき、とある事件が起こって家族には変化が起こり…。
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みたいな話!
お祭りごとにやってくるテキ屋の清太郎を中心に やりきれない人間の哀しさ、苦しさが描かれている。 描きたかったんだろうな、と思います。
なんと感想を書けば良いのか難しいです。 それは、私が今回のセレソンにどれほどがっかりしてしまったか ということにもなってしまうのですが…。
私は日記で、しかもネットという誰もが観ることができる場所で 公開している文章として、人が嫌な気持ちになる可能性のある 文章は極力書きたくない、という思いがあります。
好きなものを否定されるのは哀しいからです。 自分を否定されるのは寂しいからです。
セレソンを大好きな人が私の日記を読んで 寂しくて哀しい思いをするのは嫌だなあと思うのです。
でも、本当に今回の公演は私はつらかった。 良い所がゼロだった訳ではないです。 描きたい、話の中心にある「イイモノ」は 変わらずに良いものでした。
でも今までの公演の焼きまわしのような 使い回しのような、「手癖」で書いたような そういう空気がすごく嫌でした。 だって二時間長く感じた。 まだ続くのかなあって思ってしまった。 そんな風に思ったことなんて一度もなかった。
技術とか上手さとか気にならないくらい 美しかったものがこんな風に落ちていくなんて。
元々技術や上手さのある劇団ではないと思います。 そこではない、エネルギーの強さや真っ直ぐさが 舞台に対する集中力が、愛が、 心打つ芝居を作っていたのではないのかなと思います。
哀しい。 愛情が無いのに惰性でつき合うくらい哀しい。 常に付き合い始めのような状態であれ、というわけではなく。 年月を経るごとにその年月分の味わいと言うのがあるではないですか。 その時々の自分を相手を、受け入れて楽しんで生きていきたい訳です。 そういうことよ。てゆーか何故そんな話に。
たとえが大好き!(うまくはない)
次回公演は7月に再びサンモールで。 今度は再演。うたひめ。ゲストあり。 再演で駄目だったらもう観に行くのを やめようと思っています。
観客と芝居の関係だって 惰性になっては意味が無いものね。
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