ちょっと前、ある日記で読んだことがひっかかった。 仕事のことを中心にコラム形式で書いているサイトだったと思う。
「仕事をする理由を『食べていくため』だとしか考えられない人は、仕事によって人間的に成長することはない」
そんなような内容のことが書いてあった。 そのときは目から鱗が落ちるような思いで、心から「なるほど〜」と思い、感化されたもんだった。
が。
日が経ってみて、少し考え方が変わった。
よく考えてみて。仕事が生き甲斐になってる人って、それは実はすごく恵まれてることなんじゃなかろうか?
逆に言えば、100%の人が自分が望む仕事をしていたら、世の中どうなると思うだろうか?
単純に言ってしまえば、例えば、「ゴミ収集の仕事をしている人は、ゴミを集めることが生き甲斐なのか?」ということ。 もちろん、自分の仕事のお陰でまちがきれいになっていくのを生き甲斐としている人がいても、それはそれでとても喜ばしい。けれど、小さい頃から憧れる職業に「ゴミ収集」が挙げられることは、少なくとも今の社会ではまずないと断言できる。
けれど今自分達が生活するにおいて、まずその人たちがいて仕事をしてくれなければ、多くの人は困るはずだ。そうじゃなければ、自分達がひとりずつ時間を割いてその仕事をしなければならない。
その事実を考慮しても、仕事が生き甲斐じゃない人は人間的に成長できないと言えるのか?
そう思ったら、そのコラムの作者が急に憎たらしく思えてきてしまった。
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もちろん、最初の印象通り共感できる所はありますよ。確かに目的もなく仕事していても何かの力がつくはずはないし。 けど、何ていうか、こう…『成功者の戯れ言』みたいな空気を感じちゃったんだよなあ。 ああ、別名。『仕事中毒臭』でもいいかも!
…。苦笑。
こんなところだから堂々と言えますが、私は少なくとも食べていくために仕事しています。 それが全てじゃないですが、まだ仕事に多くの生き甲斐を見いだせる程には至ってません。 いつか見えるんかなあ。どうなんだろうなあ。わかんないけど、まあ、確かに食べるためだけの仕事はしたくないね、とも思ったりしました。
***追記***(2005/9/21)
ちょっと間を置いて見直してみましたが、「仕事が生き甲斐」ってのはどうも自分の勘違いですね。 コラムの作者は「仕事が生き甲斐でなければ…」とは言っておりません。 まあ、こういう見方もあるんだ程度の気持ちでお読みいただければ幸いなりですよ。
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