たとふれば こころはきみに よりながら

2004年08月08日(日) 八月のある朝(たろ吉の生まれた日。)

 ミレニアムの年。たろ吉は生まれた。
 特別、2000年を意図してたわけじゃないが、たまたまそうなった。
 その時、ちびが生まれた産院は、出産ラッシュで、部屋が足りないという、すごい状態だった。

 8月7日の夜中「?!」と思い、「始まったかな?」と感じたけど、うとうと。
 明け方4時ごろ目がさめて、「ああ、これだこれ。」と思った。
 痛みはあったけど、今思えば、たいしたことないない。(笑)
 でも、その時は、痛みの感覚で判断して、早朝病院へ。もちろん、まだですー、と帰されてしまった。
 次にいったのは昼。
 この時は、もうとってもつらかった。でも、まだまだ、ということで再び帰され・・・。
 つれあいは、そんなわたしをみて「くまみたい」と言っていた(爆)

 それから、ひたすら家中をうろうろし、たたんであるふとんなど、適当なものにしがみついて陣痛をがまんがまん。
 もうあかんわー、と夜病院にいって、20時頃、やっと入院させてもらえた。
 「入院しましょう。」と内診してくれた助産婦さんが、神様のように思えた(笑)

 それからまたひたすらがまんがまん。
 分娩室に入ったのが22時頃だったなぁ。
 ここまできたら、もうちょっとだぞ・・・と思ったら、甘かった。
 勝手にあと30分ぐらいで生まれると期待してたら、なんのなんの。
 時計を見て、「ああ、日付がかわるーーーーー!」。
 7日から8日になったのは、精神的にまいった。
 
 冷房は寒いぐらいにきいていたらしいけど、わたしにゃ、あついあつい。
 水分補給しては、吐き・・・と日付がかわってからは、弱っていった。
 苦しい陣痛も、間隔をあけずきてほしいのに、ずーっと5分間隔。もういやだ!と思って1回だけ口にしてしまったが、また気を取り直し・・・。
 “朝までには生まれるだろう・・・。しかし、あと何時間あるねん・・・。」

 時々、胎児の心音を聞いてもらってたんだけど、ある一時、今まで聞いたのより弱ってる気がした。「だいじょうぶかぁ!?」とあせったその時、ずーっと5分間隔だった陣痛が始めて連続できた。
 「今だっ!」と思っていきんだら、出てきたっ。
 後は、力を入れないように、短い呼吸で・・・。

 3時5分。
 やっと生まれたぁ。
 もうよれよれだった。
 「赤ちゃん見て。おなかの下。」
と言われてみたわが子。両手を広げて、ちょっと動かしてた。魚が水揚げされて、はねてる感じがした。
 へその緒は自分で切ろう、と思ってたけど、「もういいや。」と思った。
 ちびは泣かなかったので、さっと処置をするため、連れて行かれた。

 意識朦朧。
 産声をあげなかったことにも気づいてなかった。

 しばらくして、「はっ!」と思い、「男?女?」と声をふりしぼって聞いた。
 「男の子よー。先生に聞いてなかったのー?」と助産婦さんの声。
 
 とにかく、早く眠りたかった。
 でも、産後の処置や初乳飲ませなど・・・眠らせてもらえなかった。
 ブラインドの隙間から、朝が来たのがわかった。
 いつ終わるか苦痛で不安なお産は、闇の中だった。
 でも、それが終わって迎えた朝。なんともいえない気分だった。
 あの朝の静かな感慨は忘れない。

 あまりにもよれよれだったので、感動するのは1日たってからだったなぁ。
 食いしん坊のわたしが、朝食食べられなかったから(笑)

 じろちゃんが、昼に生まれたから、対照的だ。
 闇の中生んだせいか、たろを生んだ時、「生まれる」ということに深い不思議とあっけなさを感じた。ちっともあっけなくはないんだけど。出生時刻というけれど、お産のドラマの中の通過点というか、ほんの一点と感じた。
 そして、「出産」という大きなイベントの次、自分がむかえる大きなイベントは、「死」なんだろな、とそういう考えが頭をよぎった。
 暗い発想だな(苦笑)
 友だちの話なんかきいてると、感動して「また、産みたい」とすぐ思ったらしいのに。

 ちなみにじろちゃんの時は、昼にあっさり生まれたので、なんも考えませんでした(笑)
 


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higurashi

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