たとふれば こころはきみに よりながら

2004年08月10日(火) 西へ帰る

 帰省といえば、どんなイメージだろう?
 「北へ帰る」と言えばいかにも帰省の感じがする。でも、「東へ帰る」「南へ帰る」・・・そういう人はいるだろう。
 わたしの場合は、キーワードは西だ。

 ものごころついた時から、「西」行きは、少しさびしいイメージがあった。「東」は都会にいくイメージ。ついでにいうと、“「南」には海がある”という固定観念があった。

 どこを中心にするかによって、そんなもの、変わってくるのにね。
 でも、ものごころついてからのそういうイメージは強烈だった。

 わたしのふるさとをA地点とすると、母の故郷B地点はAから西の方角だった。
 そして、西に行けばいくほど、どんどん田舎になっていった。
 田舎といってもいろいろあるだろう。のどかな田舎、ほっとするために行く田舎・・・。けれど、B地点への道のりは、「さびれた」というイメージがつきまとった。わたしだけかもしれないけど。
 わたしが幼い頃、母方の祖父母はあいついで亡くなった。(祖母のことは、中島みゆきの「まつりばやし」にまつわるエピソードということで、ネット上で話したこともある。)そういうこともあって、母の故郷に行くときは、法事か墓参りだった。
 それもあるのだろう。
 さびしいイメージ。
 自分の個人的経験がもとになって、「西へ」のイメージは、独自のものになった。

 紀野恵という歌人(短歌書く人のほう)がいる。
 この人の書く短歌にとても惹かれたことがある。
「たとふれば 心は君に寄りながら わらわは西へ では 左様なら」
 俵万智がこの歌を解説していた。
 “今の二人の状況をたとえてみると、私の心は限りなくあなたに寄り添いながら、けれど体は正反対の西の方向に旅立つ感じです”という意味らしい。
 「西」=太陽の沈む方角
 「西」=浄土のある方角
 この「西」の使い方と、わたしの個人的なイメージがぴったり一致するのだ。
 “なんらかの理由でゆるされない恋愛の厳しい別れの歌”
 そう言われれば、すとんと心に落ちたのだ。

 今日、西に帰ります。
 ばたばたと慌しい中、心の端っこに、「西へ」のイメージを持ちながら。  


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