アカルイワタシの宗教観 - 2004年08月04日(水) 結局、つれない男の方にひかれる。 --- 今日はちょっとした宗教談議だった。 別にたいした話ではないのだが、 宗教に引っかかっている人の気持ちが分からない、 ということである。 そもそも日本人はクリスマスにはキリスト教になり、 受験、新年あたり神教と仏教を交差させ、 死ぬ時は仏教徒になりすます。 無宗教もいいところだ。 その割に新興宗教が流行る。 どうせならお寺様とか、神様とか、キリストでも何でもいいから、 全員右向け右した方が新興宗教が流行らなくていい。 神様とUFOにどんなつながりがあるのか、 どんな悪魔が白い車の中のババアに失禁を強制するのか、 まったくもって分からない。 宗教自体、まあいいんじゃないすか、と思える部分もあるが、 神様を信じたせいで 殺し合ったり自殺したり他の宗教の人々を苦しめるのは アホだとしか言い様がないと思う。 殺せ、と説くのは神ではない。 殺したい、という人間の残虐性が自分の中に存在して、 それを神様に押し付けることによって救われようとしているだけじゃないか。 だいたい死後の世界を想像して怖がるあたり、 本当に暇な人たちだ。 何千人も殺した凶悪殺人犯も、虫一匹殺せないおばあちゃんも、 死んだら一緒になる。 天国も地獄もない。 しかし、そういう私もお守りを持ったり、 お参りに行ったりする。 それでも半信半疑である。 願い事が叶っても私は神様は信用しない。 私の願い事を叶える神様なんか、よっぽど見る目がない神だろう。 もっと善人の願い事叶えたら?とアドバイスできる感じ。 死んだら、お葬式は適当にやってもらって、 七つの海に自分の骨を流してもらうのが夢だ。 七つの海は、今から自分の脚で歩いて、 気に入った海を選ぼうと思う。 しかし、もう2つは決まっている。 遠州浜(実家の方)と、竹富島(沖縄)の海。 あんなに綺麗なところに流してもらえたら本当の幸せ。 エーゲ海も候補にしたいので、 実際に行って、是非自分の目で見てみたい。 もちろん海に流す時の為の、旅費はとっておかなきゃね。 こういう現実的で、かつロマンチックな死後の世界の方が、 お念仏や祈りの言葉よりもずっと健康的だと思うけど。 人によりけり。押し付けはしませぬ。 宗教も、押し付けてはいけませぬ。 ...
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