例えば、光を失っても懸命に歩いている人だとか 例え車椅子だろうが、ちゃんと笑える人だとか そんな人を引き合いに、私を止めても 一層、頭の奥が冴えていっただけだった。 死にたいと口にするまで、私が何をどう考えてきたか。 そんなことは一切無視で死ぬのはいけない、そればかり。 一体、どれだけの人が「どうして」死ぬのがいけないのか 説明できるんだろうね。 逃げたらいけない?…引き際も大事って云うよね。 笑えるよ、いっそ。
皆でやれば恐くない。 それは、騒ぎ立てる大人たちがコドモに対して 「集団」生活や行動を徹底した結果でない? ちょっと一理あると思わん? 一人じゃ逝けないから誰かを誘った。 同じ考えの人が集った。 皆がいれば、自分の中の歯止めがなくなった。 集団は、個々の尊重でなく纏める方に意義がある。 異論者を消去しようとするいじめと同じ、 一人ではダメでも二人なら。 なんて集団の中で生きた結果。 それだけのこと。 自分論。こんな考えも有りでしょう?
死にたいよ、そりゃぁ。 今でも。こんな時でも。
まぁ、あたしは誰かと死ぬ気にはならんけどさ。
死にたいよ、ずっと、やけどねぇ、生きてくよ。 あたしには、死ぬだけの勇気は無いから。
人間なんて皆、身勝手さ。量は違えど我儘は持ってる。 とやかく云える程、あんた何も知らんでしょ。 そら子供遺して往くだとか、勝手も勝手、最低だとか思うけど。 つうか自己中、そんなん卑怯、最悪だ。
容せないなんて思う反面、 それで、 その最期の身勝手でさ。 ラクになれたなら、いいのにね。 なんて。
あたしだっていきたいよ。 でもいった先も、同じような処かも知れないよね。
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