ぶらんこ
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2005年01月23日(日) 未来

3日前から、我が家の前のちいさな道の拡張工事が始まった。
以前からそんな知らせを受けてはいたが、いざ始まってみると本格的かつ大がかりなので、正直、驚いている。
それにも増して、淋しく、そして悲しい。

我が家は、国道からちいさな道を入ったところにある。
その道は車一台がようやく通るくらいのものだ。
対向車が来ると(殆どそんなことはないが)、どちらかが後退して道を譲らなければならない。
そんなちいさな道をくねくねとちょっと登って行くと、我が家が見える。
わたしもこころもこの場所が大好きだ。まるで外界から隠された秘密の場所みたいに思える。
そして、そんな隠れ家へ誘うこの道は、ちょっとした自慢でもあった。
誰も知らない道、と言っても過言でないくらいの。

実際、こんなところに人が住んでいるなんて誰も思わないだろう。。。
我が家の周りには4軒しか家がない。
少し離れたところに、古い屋敷が一軒。
そして、(よーく見ると)拡がる畑の真ん中に、大きな屋敷が一軒。
ここは、近くの集落からもはずれた、ゴミ収集車も来ないような、ちいさなコミュニティー。
畑と雑木林とあぜ道に囲まれた場所。



道路の拡張工事に伴って、雑木林の伐採が始まった。
容赦なく切られ、倒される木々たちは、トラックであっという間に運び出される。
我が家の目の前はすっかりと視界が開かれてしまった。
たぶんまだ半分も終えてないだろうに、なんとも言えない空虚感だ。
もう台風の度に、前庭が、折れた枝々や落葉たちで覆われることはないだろう。
台風でなくても、笹の葉なんか、掃いて集めてを何度も何度もくり返す、終わりのない作業だった。
でも、それは竹林がそこにあったからのこと。
竹も松の木も、なんだか知らない名前の低木も、みーんなぐしゃぐしゃに潰されて、取り払われてしまった。。。
そのうち立派な舗装道路が出来上がるのだろう。
大きなゴミ収集車も通れるようになるだろう。
国道を行く車たちもまた、ここを通ってパチンコやとか電気やとかに行くのだろう。
もしかしたら、近くの空き地も、既にどこかの不動産やが買ってしまってるかもしれない。
そうして、似たり寄ったりの建売住宅がどんどこ建っちゃうのかもしれない。
畑だって、切り売りされていくのかもしれない。ここらの他の地域と同じように。



わたしは、田舎に住みたいくせに、都市に住むのはもう無理だと思っているくせに、便利を求めて止まない。
生ゴミを処理する器械が欲しいと思っているし、どこに住むにもネットの繋がる環境であることを望む。
洗濯機のない生活なんて考えられないし、乾燥機があるなら尚のこと、嬉しい。
エアコンはあまり好きではないけれど、あるに越したことはないと思う。
鳴らないケイタイでさえも、キャンセルはせず使って(?)いる。

道路の拡張は公共事業だ。
もう随分前に決められ、その予算案が通り、いろいろな順番を待って、着手されたのだろう。
それは、人々の暮らしをよくするための目的で行われている。はずだ。
たぶんどこかの大きな道路と繋がり、交通の便が良くなったり、どこぞの街の渋滞が緩和されたりするのだろう。
そのためには木々の伐採も仕方のないことなのだろう、と思う。。。


だけど・・・あぁーあ。
夕陽が沈み、月の帰る場所が、なーんもない、つまらないところになってしまったなぁ!


昨日、お隣さんとの境界に植えようと思って少し前に買った木を植えてみた。
マンサク2本とモクレン1本。
植えてみたら、めちゃめちゃ、ちびっこく見える。
しかも向かい側にある雑木林がなくなったおかげで、思いっきり風の通り道になってしまった。
今朝の強風には、よく耐えてくれたと思う。。。笑
この木が大きくなるには、何年も何十年も、かかるだろう。
そのときまで、わたしはこの家にいるのかどうか、わからない。
どうなるかわからないけれど、どうか大きく育ちますように、と願う。


いろんなことは、なるようになってたことなのかもしれない。
しょうがないことなのかもしれない。
大きな流れのなかの、いろいろなこと。
それでもそれらはすべて、人が選択してきたことの結果であり、大きく言えば、その経過なのだと思う。

わたしは、未来には、大きな道路ではなく、大きな木を残したい、と思う。
大きな流れのなかにも、自分の意思というものがあり、それが未来をつくるような気がする。
まだ、よくわからないけれど。。。


マンサクの木がもうちょっと大きくなったら、この木の向こうから朝日が昇るだろう。
わいん片手に縁側に座り、モクレンの木の上から満月の昇ってくるのも見えるだろう。
今から楽しみだ。。。笑



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