ぶらんこ
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2005年02月10日(木) 慕情

昨日は父の命日だった。
お墓には行けないが、いちにち、父のことを想った。


父はわたしが6歳の頃に亡くなった。父は46歳。47になる誕生日の直前だった。
父に対する記憶はあまりない。思い出そうとするのだけれど、頭に浮かぶ父はとても曖昧だ。
母や兄、姉たちから聞いた話を、自分の記憶として持っているような気もするし。
ときどき、父の仕草や声の感じを知りたいな・・・と思うことがある。


写真で見る父はとてもハンサムだ。いや本当に。
以前は、兄弟の中で弟が父に良く似ていると思っていたのだけれど、彼の顔は歳をとるにつれて変化してしまった。
つまり、父のほうが数倍かっこいい。
兄貴たちもしかり。どれも母の顔が入ってるせいかな?(なんて)


父が亡くなったときのことをおぼろげに覚えている。
わたしは弟や姉たちと一緒にオモテ(居間)で寝ていた。
そして突然、誰かに起こされた。長兄だった。
彼は布団をはぎながら「今から病院に行くから」と言った。
父のところへ行くのだ、と感じた。眠かったけれど、すぐに起きなくちゃいけないんだ、というのもわかった。

わたしたちは兄貴の小さな車に乗り込んで、父が入院していた県立病院へ向かった。
まだ夜は明けきらず、真っ暗だった。
わたしは車の後方、右側の端に座っていた。
車は海岸沿いの道を走っていった。
冷たい窓におでこをつけたまま、わたしは黒いタイヤがぐるぐるとまわるのを見ていた。
どこまでも続く道路の白い線を見ていた。
それから、横たわる黒い海を見ていた。黒い波が黒い岩に打ち付けるさまが見えるようだった。
誰も何も喋らなかった。 と、思う。或いはわたしが何も覚えていないのかも。
重く、暗く、冷たく、長いドライブだった。


病室で母が泣いていた。
そんな母の姿を見て、わたしも悲しかった。
父が逝ってしまった、ということは理解できなかった。でも、何か大変なことが起きてしまった、という感覚はあった。

父は家に戻り、オモテに寝かされた。
親戚や近所の人たちが集まり、神父さまが来て、死者のための祈りを捧げた。
わたしたち兄弟姉妹は父の棺の左側に並んで座った。兄貴たちを前列に、歳の順に。
母は父にいちばん近いところにいた。そしてやはり、泣いていた。
母がずっと泣いているので、わたしは不安でたまらなかった。
そして、兄貴たちが泣いているのにも気付いた。
兄貴が泣いている。ショックだった。どうしよう、、、と思った。
弟がしくしくと泣き始めた。そのうち声が大きくなり、彼はしゃくりあげ始めた。
母のところへ行きたかったのだろう、と、今になって思う。
二番目の兄貴が、弟を彼の膝の上において抱いた。弟は兄貴にしがみつきながらわんわん泣いていた。
それを見て、わたしも泣いた。。。ように思う。


教会で父のお葬式が行われた。
祭壇の中央に父の写真が飾られ、たくさんの白い菊の花で覆われていた。
とてもとても美しかった。
父が逝ったということは理解できていなかったのに、父のためのミサだということは理解していた。
わたしは、父の写真を見て誇らしく感じたのを覚えている。



父の命日にはいつもこのことを思い起こす。
父の記憶で確かに自分のものとして残っているのが亡くなったときのことだなんて、ちょっぴり淋しい気もするけれど。
父はどう思っているのだろう。


父はこどもたちのことを洗礼名で呼んでいた、という。
どうしてだろう?母に聞いても「なんでだろうね?」と笑うだけだ。父は変わった人だったのかもしれない。
「ヨハネ」「パウロ」「アンドレ」「アグネス」そして「マテオ」。
父はなぜか4番目の兄貴を最後に、呼び名を普通に変えてしまった。
なんでよ?母に聞くと「なんでだろうね?誰が何かわからんくなったからじゃないの?」と、笑う。
わたしはもちろん、洗礼名で呼ばれたことはない。だから今でも兄貴たちが羨ましい。



わたしにとって、父はいつまでも憧れの人だ。
幽霊でも夢のなかでもいいから、父と会って話がしたい、と心から思う。
父はわたしのことをなんて呼んでくれるかな? 笑



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