ぶらんこ
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その方は、生きる意志を持っておられた。 まだまだ、生きる。 彼は「死」というものについて考えてはおられなかった。 少なくとも、わたしたちにはそう見えた。 そう見せていた。
奥さまはご主人を送り出すつもりはなかった。 まだまだ、頑張れる。 彼女は彼(彼の魂)がその生を終えようとしているとは思わなかった。 また以前のように元気を取り戻せる。 そんな気持ちで介護されていた。
告知はなされていなかった。 ご本人と奥さまは何も聞かされていない。 それは息子たちによって決められていた。 そのことが良いとか悪いとか、そんな判断は意味をなさない。 与えられた状況のなかで、わたしたちはわたしたちの出来ることを、そのときそのとき、介入していくしかない。
久しぶりに訪問したとき、彼がもう長くはないのが見てとれた。 でも彼はまだ生きる意志を失ってはいなかった。 奥さまもまた、彼を信じていた。 彼は驚くほどの生命力で、意識を保たれていた。 身体を拭き、痰を吸引する。 彼はけして「苦しい」とはおっしゃらない。
彼の額に手を当てて祈る。 奥さまの肩を抱いて祈る。 どうぞおふたりにとってすべてが良いようになりますように。
翌日、状態は尚、悪化していった。 奥さまは彼をほとんどひとりで介護されてきた。 彼はいつも奥さまを「おーい」と呼んでいた。 あれをしろ、これをしろ。 わたしたちが近くにいても、彼は奥さまの姿をいつも探していた。 そんな彼がその朝、奥さまにこう言われたそうだ。 「がんばりぃや」 「もうがんばれん・・・・苦労かけたな」
奥さまが涙ながらにおっしゃる。 そげんこつ言うひとじゃなかった・・・もう充分です。
きっと彼は逝く準備が出来たのだろう。 そしてこの一言によって、奥さまもまた、彼を看取る準備が出来た。
彼はそれからも、その生の灯が消えるまで闘われた。 奥さまずっと、最期まで彼の手を握っておられた。 彼は、家族や親戚に見守られながら、旅立たれた。 ・・・なんてしあわせな光景だろう。
この夏、何人もの患者さんが亡くなられた。 それぞれの「死」は、確かな何かを残していく。 別れは辛く悲しいものだけれど、死に関わったひとにはそれ以上の大きな糧となる。
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