ぶらんこ
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こころが幼い頃から、母親どうしの付き合いというものが苦手だった。 苦手というよりも、興味がなかった。と言ったほうが正しいかもしれない。
それは、「社交的でない」というのとはちょっと違うような気がする。 いわば「お高くとまっていた」という言葉が一番近いかも。 積極的に他人と交わろうとしない。 もしかしたら相手を選んでいたのかもしれない。 うーーー。なんだか嫌なヤツだ。
でも、だからこそ、自分のなかで「疎外感」というものを感じなかったように思う。
こころは密かにそんな母親(わたし)のことを心配していた時期があった。 わたしが彼女の友人の母親と喋っているのを見てものすごく嬉しかったらしく、何を話していたの、と興味津々に聞いてきたことがあったから。 あのとき、あぁこの子はわたしに人並みに(というのかな?)母親どうしのチャットをして欲しいんだなぁ。。。 なんて、ぼんやりと思ったものだ。
そしてわたしは、今もさほど変わっていない。 こころの学校へ行くと、母親たちは何人かのグループになって話している。 わたしはにこやかに挨拶はするけれど、すすんでその中へ入っていこうとはしない。 だから、いつもひとりでいる。 特別それを苦痛だとは思わない。 思わないどころか、そのほうが心地良い。 それがわたしの持つ「スペース」なのだ。
そういうわたしを長年見てきたこころはどう思っているのだろう。 特別聞いたことはないけれど、「マミィはマミィだからね」と言うかもしれないな。
ところで、相手が子供とかお年寄りだったらそんなことないんだけれどなぁ。 なんでだろう??? 自己分析は続く。。。。(してないけど)
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