ぶらんこ
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2007年01月10日(水) 「素」


    島では、元旦の朝に三献(サンゴン)をいただく。
    三献とは島の正月料理。二種類の吸い物(海の幸の雑煮と山の幸のかしわ汁)、それにお刺身だ。
    写真は、今年いただいた三献。とりあえずお刺身は形だけ。人数が多くなったので食器もありあわせのものとなった。






ところで、三献をいただく前に、家長からの挨拶がある。
我が家の場合は母だ。
父が亡くなってから、母はずっとこの役を務めている。
今年も、母の挨拶から始まった。

母の言葉をみんなにこにこしながら、でも心内は神妙な気持ちで、聞く。
母はなかなかシャープな女性だ。こういう挨拶をさせると、特にそう感じる。押さえどころが的確。
母の挨拶の次に、今年は東京から来ていた姉家族の家長(義兄)が一言。
新年の挨拶というものは気持ちがひきしまる。言葉にすることで、新たなはじまり、という大きなエネルギーが注ぎ込まれるようだ。

その次に挨拶をしたのがすぐ上の姉の旦那さま。去年のいろんな出来事がみんなの心のなかを巡る。
良い年だったなー。いかんいかん。涙が出そうだ。

格闘していたら、「じゃ、次、どうぞ」と促される。
ん?わたし???

青天の霹靂。

「いや、わたしは家長じゃないよーーーー」
そう言うのに、みんな、わたしを嬉しそうに見ている。
わかっている。このところその役割を担うべく、自分なりに歩いてきたんだった。
そして、そう出来たのは、自分ひとりの力じゃなかった、と・・・あらためて、思う。



「素」という言葉を辞書で調べると「何も加えていない」とか「飾りのない」という風に書かれている。
なるほど・・・。
もしかしたら誰もがそうなのかもしれないけれど、わたしが「素」になるのは、家族といるときだ。
だから、ただ素直に言葉にすれば良いだけだ。
なのに、自分の本当の気持ち、素直な気持ちを、家族に対しあらためて言葉で表現するのは、なかなかもって、照れくさい。
シンプルかつ簡単なことのはずなのに、難しい。

と、いうわけで、小学生低学年のような挨拶になってしまった。
あふれる。こぼれる。笑う。笑う。


みんなで頂いた三献はとぉーっても美味しかった。
次はきっと、島で!





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