ぶらんこ
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父の日。USオープン観戦。カブレラ氏優勝。屈託無い笑顔がとっても印象的だった。 カブレラ氏はアルゼンチン人だ。 「アルゼンチン」といえばわたしの生まれた国。に、なったかもしれない国。である。これ、真面目な話。
昔、まだわたしが生まれるずっと前のこと。 両親はアルゼンチン移住のための申請をしたという。 わたしはこのことを去年までまったく知らなかった。わたしだけじゃなく、兄弟姉妹の殆どが聞かされてなかったと思う。 アルゼンチンだよ、アルゼンチン。どこにあるんだっけ、その国?っていうくらい、遠い国だよ。
この話は、一枚の写真によって引き出された。 その写真を見るまで、たぶん母も忘れてしまっていたのだと思う。(ある意味、素晴らしい) それは暮れに亡くなった伯母の遺品から出てきた。 両親と長兄(まだ幼かった)3人の写真。かなり古い。 我が家の貧しさから考えると、こんな時期に写真撮影をしていたという事実が驚きだ。しかし、 「アルゼンチン行きの申請に必要だったから写真を撮ったんだよ」 母の言葉を聞いて、更に驚いた!というワケ。
聞くところによると、当時、教会からアルゼンチン移住の薦め(?)があったらしい。 実際、大勢の人々が申請していたようで、母の親友夫妻もそのうちの一組だった。 さらりと言うので、驚きを通り越して可笑しくさえ感じる。 結果、抽選にもれた為、彼らのアルゼンチン行きはお流れになった。(よって、わたしが存在していることになる)
母達は写真を見ながら「そういうこともあったねぇー」と目を細めていた。 ふたりは笑いながら話すのだが、そこかしこに哀愁を帯びている。 80余年を生きてきた、彼らの厚み、深みなのかもしれない。
母の話を聞いて、アルゼンチンについて少し調べてみた。⇒アルゼンチン 経済面を見ると、非常に厳しいものがある。 また、日系アルゼンチン移民の略史からは、彼らの苦労・苦悩が伺える。⇒日系アルゼンチン移民
もしもあの時。ちょっと想像してみる。 両親はスペイン語を話しているだろうか。 きっと、アルゼンチン人として生きるように努力したかもしれない。 もしかしたら9人ものこどもは授からなかったかもしれない。 父の発病はなかったかもしれない。 ? ? ? キリがない。 ひとつ言えるのは、アルゼンチンという国がほんのちょっとだけ近くなったということかな。 わたしの母国になったかもしれない国。ひょっとして、ずーっと過去に暮らしていた国なのかもしれないなぁ。
環境はひとを変える大きな要素だと思う。 ここへ来てもうすぐ3ヶ月になるが、わたし自身も変わっているように感じている。 友人から、今のわたしについて「日本とは生活の空気みたいなのが違う」というようなことを言われた。 それは自分のまとっている空気(雰囲気)が変わっていることなのだと思う。 ということは、自分自身も変わりつつある。ということなのだろう。 願わくば良い方向へと変わっていきたいものだ。 まずはそれを意識することからはじめよう。かな。。。
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