ぶらんこ
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歩き始めたこどもは、母親と自分との距離を確認することで安心する。 母親のいる場所にいちいち戻っては、少しずつ距離を伸ばしていくのだ。 こうしたチャレンジの積み重ねで、こどもの世界が広がっていく。 これは乳幼児期だけに限られたことではなく、その後も滞ることなく続いていく。 物理的にも精神的にも。 もしかしたら一生続くのかもしれない。人間として成長していくうえで。
だからなのかもしれない。 だから、親が年老いていくのを見ると、なんとなく心細いような、自分自身が揺らいでしまうような、そんな気持ちになるのかも。
他人が年老いていくのを見るのは辛くはない。 「老人を労わりましょう」とか「お年寄りは人生の大先輩です」とか「尊敬しましょう」とかよく聞く。 至極当然ごもっとも。と思う。 わたしは年寄りが好きだ。どちらかというとこどもより老人のほうが好きなのだ。 一緒にいると安心するし、穏やかな気持ちになる。それに楽しい。 年寄りの生きるスピード、空間が、自分の波長に合っているのかもしれない。
でも、自分の親となると、また別らしい。 おそらく、自分の親には「しっかりと」していて欲しいのだろう。 何事にも動じず、辛苦を舐めながらも優しく強く明るく生きてきた女性。 こどもの頃に抱いていた姿そのままでいて欲しいのだ。きっと。
でも、年老いていく親を「みる」ということこそが大事なのだと思う。 見る。観る。看る。 どれでもいい。
与えられた環境のなかで「自分に出来る」ことをする。 出来ないことをしよう、とは思わない。 でも、ここで忘れてはならないのが、「環境は自分で作れる」ということだ。 〜するべきなのでは?じゃぁなくて、自分は一体どうしたいの?ということ。 選ぶのは自分自身。 何かをするもしないも、すべては自分で決めている。
大人になってからも親の存在はずっとずっと偉大で、それを確認しながら生きているのだなぁ。。。と今さらながら、思う。
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