ぶらんこ
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2007年06月22日(金) 母ちゃん

歩き始めたこどもは、母親と自分との距離を確認することで安心する。
母親のいる場所にいちいち戻っては、少しずつ距離を伸ばしていくのだ。
こうしたチャレンジの積み重ねで、こどもの世界が広がっていく。
これは乳幼児期だけに限られたことではなく、その後も滞ることなく続いていく。
物理的にも精神的にも。
もしかしたら一生続くのかもしれない。人間として成長していくうえで。



だからなのかもしれない。
だから、親が年老いていくのを見ると、なんとなく心細いような、自分自身が揺らいでしまうような、そんな気持ちになるのかも。

他人が年老いていくのを見るのは辛くはない。
「老人を労わりましょう」とか「お年寄りは人生の大先輩です」とか「尊敬しましょう」とかよく聞く。
至極当然ごもっとも。と思う。
わたしは年寄りが好きだ。どちらかというとこどもより老人のほうが好きなのだ。
一緒にいると安心するし、穏やかな気持ちになる。それに楽しい。
年寄りの生きるスピード、空間が、自分の波長に合っているのかもしれない。


でも、自分の親となると、また別らしい。
おそらく、自分の親には「しっかりと」していて欲しいのだろう。
何事にも動じず、辛苦を舐めながらも優しく強く明るく生きてきた女性。
こどもの頃に抱いていた姿そのままでいて欲しいのだ。きっと。

でも、年老いていく親を「みる」ということこそが大事なのだと思う。
見る。観る。看る。
どれでもいい。


与えられた環境のなかで「自分に出来る」ことをする。
出来ないことをしよう、とは思わない。
でも、ここで忘れてはならないのが、「環境は自分で作れる」ということだ。
〜するべきなのでは?じゃぁなくて、自分は一体どうしたいの?ということ。
選ぶのは自分自身。
何かをするもしないも、すべては自分で決めている。


大人になってからも親の存在はずっとずっと偉大で、それを確認しながら生きているのだなぁ。。。と今さらながら、思う。


marcellino |mail