ぶらんこ
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2008年03月18日(火) おりこうちゃん

昔、まだこころが4歳か5歳の頃のこと。
姉と一緒に、わたしとこころとの3人で川越の城下町へ出かけた。

いろんな店を眺め歩いた中、ある店を姉が気に入った。
彼女は服を何着か選び試着もしたので、結構長い時間をその店で過ごした。
こころは店内の雑貨を見るのに飽きてきたらしく、お店のドアを開いて外へ出てはまた中へ入ってくる、というのを何度か繰り返した。
ガラスのドアだったので、外へ出てからも中の様子が見えるのが楽しかったようだ。
店内にいるわたしに向かってにこにこと満足げに手を振っていた。
道路からは離れているし、危なくはないからまぁいっか。。。
と、しばらく好きなようにさせていたのだが、ふと気付いたことがあり彼女を呼んで言った。

「このガラスすっごく綺麗でしょう」
「うん」
「おねえさんが朝いっつも綺麗に磨いてるんだねぇ。だから、ドアを開けるときにはここ(取っ手)を持って開けるようにしてみて。
そしたら手の跡が付かないからガラスは綺麗なままでしょ。出来る?」
「うん、出来る!」

それを聞いていた店員さんが「こんな小さいうちからきちんとしつけているんですね」みたいなことを言った。
「あ、いえ、そんなんじゃないんですけど・・・」
取っ手が手の届かないところにあるわけではないし、話して聞かせればわかるだろう・・くらいに思ってのことだった。
すると奥のほうから姉が出てきて、「そんなにおりこうちゃんにさせなくたっていいのよ」と言った。
(そして、「てれちゃん、長い時間待っててくれてありがとね」と、こころに向かって言っていた)

『おりこうちゃん』かぁ。。。
そのときは、そういうつもりでもないんだけど・・くらいにしか思わなかった。
でも、姉の言いたいことが、何となくぼんやりとわかったような気もした。
あのとき、心のどこかに「何か」が残った。
そしてそれは、ちょっとしたブレーキになったようだ。
「こども」ということと、「おりこうちゃん」ということ。

「おりこうちゃん」になって欲しい。のではなく、もしかしたら自分自身が「おりこうちゃん」でいたかったのかな?

というのは、考え過ぎというより感じ過ぎか。
そこまで自分を卑下するのは、やや感傷的(かつ自己陶酔的な)感じがする。却下!
それに、もし今の自分があのときの場面に戻ったとしても、きっとおんなじことを言うだろうし。



おりこうちゃん。という言葉を聞くと、思い出す場面。
ほんの少しだけ胸が痛む不思議。





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