2004年04月17日(土) |
相手の立場に立つ・・(ご質問へお答え致します) |
『お伺いしたいことがあります。 「怒り」等負の感情は魂の負担になるということをきいたのですが だれかのために怒りの感情を持つことができるということも 良くないことなのでしょうか? また、笑いながら人を殺すような事件があったときなどに、 どうしても犯人を理解できず 負の感情が湧き出ることをとめることができないときに その感情にどう対処したらよいのでしょうか? もし機会がありましたら、ご助言いただけるとうれしいです。』 (一部省略)
先日、 日記への感想として上のご質問が寄せられました。
「笑いながら、殺人を犯す・・」 現在、このような悲惨な事件が相次いでいます。 この方の仰るとおりです。
「善に反した、行為を見た時に湧き上る感情・・正義。」 正常な人間ならば、誰もが感じるこの感情・・ 一体、どう処理すればいいのでしょう。
大変に、 大きな意味を持つご質問だと思います。 ご質問を下さった貴方にお礼、申し上げます。 ありがとうございました。 この場をお借りし、改めて感謝申し上げます。
さぁ、 今日は、このご質問から考えて生きましょうか。
これから、お話する事は 表面にいる私とユタの私の考えです。 みなさんには、みなさんのお考えが必ずあるはずです。 みなさんにも考えて頂きたいのです。
毎日、毎日・・流される悲惨なニュース・・ 表面にいる私は、テレビのニュースを見る事が嫌いです。 ユタの私を抑えていても・・ 事件に関わりのあった人々の感情を読み取ってしまう私は、 自分の生活に支障を及ぼすほどの感情移入をしてしまうからです。 怒りと哀しみに包まれる・・
表面にいる私は、常に正義を追い求めます。 過去の私は、 自分の正義に反する人を許せず、 何度も何度も怒りを爆発させていました。
「人として、有るまじき行為!」 それが、その頃の思いです。 ニュースを見て、 被害者の立場に立つ時、その頃の感情が蘇ります。 みなさんと同じです。
それが、普通の感情です。 当たり前に誰もが持つ、正義感です。 その正義感・・道徳感がなければ安全な社会は成り立ちません。 あって当たり前の感情です。 決して、私は否定致しません。
被害者の立場に身を置くことはすぐにできます。 けれど、 加害者の考えに耳を傾ける事ができない・・・ 加害者の立場に身を置くことができない・・・ 殺人を犯した人と同じような「負」の感情に入れない・・
あえて、 加害者の感情の中に入らなくても良いのです。 悲惨な事件・・壮絶な事件を引きこす加害者達は、 心身ともに健全ではありません。 どこかに、ゆがみを生じている人ばかりです。 専門的な精神鑑定などしなくても、誰もがそう思っている。 健全な精神状態であれば、誰でもわかる事です。
表面の私・・そして、ユタの私・・ 正義の怒りに包まれている私の心の中で、ユタの私からの声がします。
「己が善くて、人殺しをせぬにあらず・・」 以前の日記の中でもお伝えした事がある、三浦綾子氏の言葉です。
加害者と同じ境遇だったら・・・・ 加害者と同じ生活環境だったら・・ 加害者と同じ選択をしていたら・・ 加害者と同じ感情を抱いたら・・・
「自分が善の人間だから、人殺しをしないのではない・・」 私が、たまたまその境遇ではなかったから・・ 私が、たまたまその生活環境ではなかったから・・ 私が、たまたまその選択をしなかったから・・ 私が、たまたまその感情を持たなかったから・・
ユタの私は、 怒りに包まれている私に言葉を送ります。 「人の心の善と悪・・誰もが持つ光と暗闇・・必ず誰もが持つもの・・」 そうなんです。 私達、人間は誰もが同じような過ちを起こす危険性がある・・
怒り、憎しみ、恨み・・誰もが抱えている感情です。 無いという人は、まだ生まれたばかりの赤ん坊です。
過去の悲惨な戦争・・・ そのどれもが、 正義感からの怒りや憎しみ、恨みから始まっています。 一年前のアメリカとイラクの戦争もそうです。 「報復せよ!我々は「正」である!」 どちらも、それぞれの正義を根本に持っています。 過去の流れ・・人々を育てたそれぞれの歴史が背景にあるのです。
どちらが悪いと言っているのではありません。 私の善悪の範囲内で、 それらを裁こう・・などと言っているのではありません。
私は、神や仏ではありません。 人は、神や仏ではありません。 人が人を裁き、罪を与えなくてもいいのです。 神仏・・大いなる力が常に視ているからです。 全て、ご存知だからです。 神仏にお任せすればいいのです。
ただ、ユタの私は、 人がどんなに弱く、汚い者かを私に教えてくれるのです。 私が、誤った選択をすれば、すぐにでもそうなる・・ 「おまえも同じ・・」 そう言うだけです。
貴方や私が何故・・ これらの事件に遭遇せず、生きてこられたのか・・・・ 貴方や私が何故、この安全な日本に生まれたのか・・・ 何故、戦争の被災者達は、その国に生まれたのか・・・ 全ての人が・・ 同じ思いで、幸せを願い、生まれ変ったはずなのに・・
何故・・何故なのでしょう。
過去の歴史・・何千年・・何万年の時の流れ・・ 繰り返される時間・・ 魂は幾つもの時の流れの中にある・・ 幾つもの人生を経験し、誰もが何度も生まれ変わる・・
先日からの日記で、 「反省」の意味を何度もお話してきました。 反省・・悔恨・・懺悔・・。
相手の立場に立つ・・ 自分の犯した罪を相手と同じ立場に立ち、受ける・・ 与えた痛みがどれだけ大きかったのか・・・ 与えた苦しみがどれだけのものだったのか・・ 与えた哀しみがどれだけの涙を流したのか・・ その全てを受ける・・同じようにもがき・・苦しむ・・
前世での因縁・・・ 前世での「業」・・ 今生で創った「悪」・・ それらを必死にかえす・・
人に与えた苦しみは、必ず戻ってきます。 大いなる力は、常に平等です。 大いなる力は、人を選びません。
貴方が、 誰かに与えた罪は、必ず貴方に戻ってきます。 貴方の与えたものが大きければ大きいほど、 それらは、何倍にもなって帰ってきます。
それが、神仏の力です。 それが、自然の流れなのです。 それが、当たり前の流れです。
悪い事をすれば、悪い結果が起こる・・ 良い事をすれば、良い結果が起こる・・ 誰もが知っている常識です。
「情けは人の為ならず・・全て、己が為・・」 この言葉の意味・・ 安易に人に情けをかけてはいけない・・ 依存心の強い人間にしてしまうから・・・そんな意味ではありません。 情けは人の為にかけている様に見せかけて、 実は、自分の自己満足の世界である・・・そんな意味ではありません。
情け・・情・・ 貴方の真心からの行いは、人の為の行いではなく、 貴方自身の為の行いなのです。 貴方の行った「善」の行為・・ 真心からの行いは、必ず貴方に帰ってきます。 今生での積み重ねの善行は、来世に持ち越されます。 必ず、遠い将来の貴方に帰るのです。 情けは、 人の為ではなく、最後は将来の貴方の為になるのです。
人に悪い事ばかりを与えてきた・・と貴方が感じ、 反省し、懺悔するならば・・二度と同じ過ちは繰り返さないと誓う事です。 そして、 それを早く返す事ができるように・・善の行いを積み上げる事です。 それが、ユタの私が言う反省と懺悔なのです。 そして、本当の反省ができた時には、 「善行」をさせてもらえる周りの人々に、貴方は感謝するようになります。 それが、ユタの私が言う感謝なのです。
貴方が自分の人生を振り返り、 自分自身を正しく見つめる事ができるように 心から願います。 どうか、 貴方が真理の道に入る事ができますように。 どうか、 将来の貴方に大きな「善」が訪れますように。 心から願います。 心から祈願致します。 心を込めて。
−AYA−
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