けろよんの日記
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「対岸の彼女」(マルコさんどうもありがとう!) 読んでると途中で痛くなって読んでは止め、読んでは止めした本。 実は一番共感したのが、「葵の母」だった!というのは冗談にしても 「いったいどうすればあんたは満足なの?」という叫びは 困ったちゃんの3歳児を前にして毎日。 子を思う気持ちはあるものの、全くズレた方向に努力を重ねる母に 哀憐を覚えます。 母はどうして葵の気持ちに沿うことが出来ないのか? 葵はどうして中学で浮いちゃったのか? 「この人には想像力というものがないのか?」という小夜子の思いが その答えなのかもしれません。
カテゴリーが同じ人の方が親しくなるきっかけ、話の話題は多いけれど、 結局最後に残るというか、本当に友人になれるというのは人生のスタンス、 基本姿勢が同じ方向性を持つかどうかということではないかと最近考えて います。 それ以外については多少付帯条件が違おうが、所属カテゴリーが違おうが さほど問題ではない。後は自然に集合の輪っかの一部が重なってくるか、 あるいは実は結構な部分が重なっていたことに気づくことが多いように 思います。 但し、カテゴリーが違うと触れ合う機会が少なくなることもあるので そういうことに気づく機会がないとか、基本姿勢が違うのでカテゴリーが ちょっとズレてきちゃった。なんてことはあるでしょうけれど。
なので、自分の中では小夜子と葵は会うべくしてあった人達という 印象が強くて、ハードルを乗り越えて邂逅した2人という観点では 捉えられなかった。 が、実際小夜子がいくつものハードルを越えて葵に出会ったのは 間違いなく。 ぱっと読んだところ弱々しい印象を持つ小夜子ですが、 これではいけないと一発奮起して仕事を探し出す件では、 「草花が太陽の光を求めて茎を伸ばすような健全さ」が感じられ その清潔な印象とともに好感を持ってしまいます。 本人にしてはもうせっぱつまってニッチもサッチもいかない中での 唯一の突破口なんでしょうけれども自分の人生に足りないものを 感じ取ってそれでを遮二無二掴もうとする。いい感じです。
葵にはその見かけと裏腹に弱々しさばかり感じてしまい。 旅行先で一度騙されてそれから後は人を兎に角信じようと決めた ところなど、盲目的に宗教を信仰する人のような危うさを感じました。 どうしても性善説派になってしまう人とはちょっと違うっていうか。 1人出会えたそれだけでいいという人(=小夜子)を見つけるまでの 護符だったのかな。
あるところは扉をがーっと開き、あるところは扉を閉めざるを得ず。 皆と仲良くとは無理ですが、自分の思い込みだけで相手を締め出さずに まずお付き合いしてみましょうという話ですね。 (つきあっても駄目なら諦めてもいいんだよね?と件の後輩を思う。)
ところでこちら白泉社のシルキーで漫画化されて現在発売中だす。 画は我孫子美和(@みかん絵日記)で読む前はうーんどうだかなあ? と思っていましたが意外にいい感じです。 小説だと重くてどもならんとこが軽減されてるというか。 しっかし、小夜子の旦那ヤな感じですがどこがよくて結婚したのだろう…
ま、最後の方は頼めば素直に刺身買いに出てましたが。 共働きでもきっちりお掃除して、出来合いの惣菜は食卓にのせず、 プリーツの一本一本にキチンとアイロンをかける小夜子さんが その結婚生活でスポイルしちゃった部分なんてのもあるのかも知れません。 我が家のある日の夕食。 ごはん。(無洗米)、ほうれん草とちりめんじゃこの胡麻和え (前日分持越し)、味噌汁(出汁の基使用)、海老蒸春巻(冷凍)、 ニラとモヤシの炒め物。 間違っても、ひき肉を探すのにスーパーを梯子したり、 姑の電話に延々つきあった後ミートボールを作ろうなんてことは致しません。(キッパリ!) するとしたら夫への当てつけ以外の何物でもないな。
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