けろよんの日記
DiaryINDEXpastwill


2005年08月15日(月) KOSOVO〜浄化の大地

「KOSOVO〜浄化の大地」もんでんあきこ

恥ずかしながら、KOSOVOのスペルすら知らず読んだ。
少し前の単行本収録作品が雑誌に掲載されていたものである。
ハッピーエンド、前向きなラストの作品が多い作者には珍しく、このような救いのない結末の作品を読むのは初めてだ。(といっても全てを網羅したという訳ではないのだが)

 コソボ紛争の中、主人公(ゲリラ部隊の小隊長だか。敵対するアルバニア人とセルビア人のハーフ。母がレイプされ出来た子。)のみを残し全ての登場人物が息絶える。漸く手に入れた、愛する者と生への実感を目の前で奪われた主人公は復讐の鬼と化し、ストーリー中姿を見え隠れさせる破壊と殺戮の女神(?)に身を委ねる。という衝撃のラスト。
 
 ショックを受けつつも実に淡々と読めてしまったのは「事実世界各地で起こっていることはこういうことである。」とストンと腑に落ちたせいだろうか。必要以上に扇情を煽らない作風のせいだろうか。

 女神(とここでは記載する)の出現だけが幻想的ではあるがそれは否定しない。この女神はそれ自身が破壊と殺戮にを行うという訳ではなく人間の中にある憎悪などのあるゆる負の感情を増幅させ「人間」自身にそれを行わせるという風に見受けられる。

 戦争やテロの本質が負の連鎖、スパイラルであり、また正である筈の「愛」がその媒体となるということをガツンと感じさせられた。
このような民族紛争は「敵」の顔が見えるだけに憎しみを「人」に向けやすいように思われる。
その戦争を始めた指導者や政治・宗教には只人が刃を向ける体がなく、より解りやすい「敵」に向かう。
 
 なけなしでも、似非でも平和な地では「愛」を歌うが、紛争地では「愛」すら(というより愛こそが)「憎しみ」を呼ぶのである。
家族を、友人を殺され、自身も犯され、全てを失った人間に敵への愛を説くことが出来る人間がこの世界中に何人いるだろうか?

(余談になるが、なぜこの場合レイプ=浄化になるのだろう。この話のみならず、昔昔高校の演劇部が上演した「DARK IN THE MOON」という劇でも妖精と交わった女性を浄化するため聖職者が女性をレイプする、信者がそれを奨励するというシーンがあり。日本的感覚で言えば不浄の物に交わるのはそれ自体が汚染ということになるような気がしないでもない。)

けれど「負のスパイラル」は絶対に、絶対に間違っている。
その答えにつながるものが、同じ作者の後日の作品「落日が訪れるまで」
「地に立ち天を仰ぐ」の2作に見つかる。(「竜の結晶」という格闘技を舞台にした少女マンガの番外編である。)主人公は祖父とその孫。別な意味での負の連鎖を彼らそれぞれの時代と得た場所で開放していく。またこの命題「負の連鎖をいかに留めるか」の真の回答者となりうるアフリカの部族出身の少年の真摯な瞳が印象に残る。


けろよん |MAIL