2004年08月07日(土) |
Give it away |
今日の礼拝のテーマは「与える事」だった。 特別賛美で、コンチの「Give it away」を歌わせて頂いた。 こんな歌詞だ。
「Give it away」
傷つく事に不安いだいて、疑いあってる恋人達よ 愛とは、あなたが、与える事
言葉をなくした家族の中で 寂しさの訳を探し続けてる 愛は自ら与える事
共に生きる時 本当の愛、わかるだろう
誰かを助けたい思いはあっても 自分を捨てることなく 何も変わらない 愛は自ら与える事
共に生きる時 本当の愛 わかるだろう
愛は河の様 命の神から流れ この心を永遠にうるおし続ける
共に生きる時 本当の愛 わかるだろう
私達が本当の自由を得るため 命もおしまずに捨てたイエスは 愛の姿を教えてくれた
共に生きる時 本当の愛 わかるだろう
この歌の後、牧師さんのメッセージがあった。 与える事のチャレンジだった。 受けるよりも与える方が幸いです。 この御言葉も読まれた。 自分の持っているものが、少ない、出来ない、不十分だと 思わなくていい。 小さなお弁当でも、主は祝福して用いて下さる。 大切なのは、どれだけ持ってるか、出来るかではなく ハート(心)だと。。。 私はメッセージを聞きながら、涙が流れて仕方なかった。
自分は出来てないといつも思わされる。 主に従います。全て捧げますと、賛美とかでも歌いながらも そう出来てない私。それを見せつけられていて、つらい。 そういう思いから流した涙でもあった。 でも、そんな私でもいい。 このままの私を用いて下さる。その事の感動から流れた涙でもあった。
イエス様は全てを捧げて下さった。その愛が私の内にも流れている。 その命が流れている。それだけで充分なのだと。
その後の祈りの時間にも私は祈っていた。 主よ、私はこんな者なんです。出来ないんです。ごめんなさい。 でも、主が見せて下さったのは、喜んで楽しんで賛美している 私だった。 そうか。難しく考えすぎたり、出来ないって言わないで こんな風に楽しんでいることを主は望んでいるんだなぁ。 そして、出来なかった事を数えるのではなくて、 ちょっとでも、出来た事を感謝していけばいいんだ。 そう気づかされた。
小さい頃からの思考パターンで、10個ある内の、たとえ 9個出来たとしても、出来なかった1個が気になる。 そういう私だった。 でも、たとえ、1個しか出来なかったとしても、その1個を 感謝すれば、その1個は、素晴らしい意味を持つのかもしれない。 そう発見出来たのだった。 そういった、日々の感謝をノートに付けよう。そう思った。
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