昨日、ある事件(私の中では結構、事件)があり、 知らず知らずのうちに、心にものすごいストレスを感じていたようだった。 (ようだったというのは、今日になって振り返ってみてそう思う)
昨日は寝る前に、家族に当り散らしたりしていた(−。−)
今日、また新たな事件が起こり、昨日より更に深刻化していた。 私は負けそうになった。
心がふにゃ〜ってなり、うぃ〜〜んとねじまげられているようになり 涙がぼろぼろこぼれそうになり、それでもふんばっているような そういう心境だった。
その割には、お料理に燃えたりしていた(・。・)
きんぴらを作り、あさりの酒蒸しを作り、冬瓜とグリーンピースの あんかけを作り、水菜とりんごとナッツのサラダを作ったりした。 快挙だっ(−。−)
今日お料理に燃えたのには、理由がある。(−。−) (あえて、ここでは書かないが)
そしてその後も、更に、つらい気持ちが深まっていった。 でも、その状況の中で聖書を開いたり、祈ったりする シチュエーション(何故英語を使う?)が与えられた。 その中にほりこまれた(いや、自分から行ったのだが) 感じだった。
その、ものすごくつらい、重たい、気持ち。 死にたくなるような気持ち(手首を切ったらどうなるかな?とか 初めて考えたりした。自分が部屋で手首を切って死んでる姿を 思い描いたり。怖かった。後、飛び降りる事とかも)の中、 祈ることが出来たのは、ほんとに良かった。 重苦しい気持ちが、吸い取られていくように感じた。 主が、その様な中に、一すじの光を与えて下さった。
聖書の言葉って本当に本当に、命なんだって。そう思った。 ひからびきった心の中に、命が満ちていった。
私は弱い。でも弱くても大丈夫だ。 主の御手が私を支えてるから。
その後、また、つらい気持ちが戻ってきそうになることがあった。 でも、私は、また主の元へ行く事が出来る。 だから大丈夫。 状況は、ほとんど変わっていないのだけれど、 賛美する事・・・。その中に、主は何かを起こして下さる。 そんな気がする。
『悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです』 マタイによる福音書。5章4節。
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