2005年07月24日(日) |
いろんな事を書いてみた。 |
今日は久しぶりに礼拝でドラムをたたいた。
もう、私にまわってくるなんて、よっぽど人がいないのである!!!
私はドラムの練習に、時間を回す事がなかなか出来ない。 なのに、たまにこうやって奉仕するのが、なんだか心苦しい。
というか、もともとドラムをたたけて、それでやってるのなら まだしも、もともと、たたけていなかったのに やっているのだから、なんで私が?という感じである。
でも、これからは、ちょっとは普段から、意識して 練習できたらと思っている。
今日は4ギブンの練習もあった。今日は二手に分かれて 出来てないところをお互いチェックしあった。 重箱の隅をつつくような・・・は嫌だが 今日のは、なんだか、お互い励ましあって出来て 建設的な練習だったといえるだろう。 自分ではなかなか気がつかないところも、言ってもらえると よくわかったりする。 そして、4人のハーモニーが、そろってきたなと 感じたとき、すごく感動がこみあげたりした。 (出来てないところは出来てないのだが) ピアノの生徒が、ちょっとうまくなったりしたとき私は よく感動して涙ぐみそうになるのだが そういう感じだった。
家に帰ってから、母とけんかした。 母は、最近、ひざの軟骨がすりへっているらしく 歩きづらい状態で、病院にも行っている。 私は、なるべく母を手伝ったり優しくしようとしていた。 でも、ある事で言い争いが始まり 母に「最近のあんたの態度はなってない」と 言われた時、昔の痛い記憶がよみがえった。
テストでがんばって成績が上がっても それが100点でない限り、ほめてもらえなかった。 いくらがんばってもだめ。私はだめなんだ。そういう思いが。 私は、がんばって母に優しくしているつもりだった。 でも、母の目から見たら、私は、不十分だったのだろう。 その瞬間、(もう何もしてやらない!) そういう、憎しみで心がいっぱいになった。 でも、よく考えてみれば、それは 本当の愛じゃないんだよね。 どこかで、母にほめられたい。見返りを求めている 自分がいたんだと思う。 だから、「あんたの態度はなってない」と言われた時も じゃあ、今までやってた事はなんにもならなかったんだと 感じたのだと思う。 ほんとに愛があれば、相手になんと言われようと 優しく出来るはずだ。私には愛がかけているなぁ。 そう思えたのは、だいぶ後になってから。
私は、すぐに感情が爆発したり、いらいらしたりする。 「怒りを遅くする者は、勇士にまさり 自分の心を治める者は、町を攻め取る者にまさる」箴言16章32節
必要な時に、正しく怒りを表現する事も大事かもしれないが 怒りがこみ上げてきたとき、すぐにイエス様のところに行くとか どうして出来ないんだろう。 そしたら、不必要に人を傷つけたり、またその事で 自分を更に傷つけたりする事もないだろうに。 私は、今日、母に対して、大声で罵倒し、 自分の感情をコントロールできないほど、落ち込んでしまった。 人の評価よりも、主が私をどう見ているか その事だけに、心を注げたら、今日みたいな事にならなかったのに。
まだまだですなぁ(・。・、)
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