2004年10月26日(火) |
何かしたい。何もできない。 |
雨だ。
この秋、何度目の雨だろう。
雨はわりあいに好きだ。
それは雨と結びつくような、
比較的哀しい記憶を持ちあわせていないからかもしれない。
比較的哀しい記憶。
何と比較すればいいだろう。
どこからが哀しくない記憶で、どこからが哀しい記憶だろう。
今日も雨が降っている。
兵庫県の豊岡の人たちは大丈夫だろうか?
新潟の小千谷市の人たちは大丈夫だろうか?
大丈夫って、言葉ほど、あいまいな言葉もない気がするけれど。
今日の私の心の中心にある、ぐずぐずとした湿っぽいわだかまりは、
分かち合うことのできない痛みに対する、もどかしさかもしれない。
たとえば、何もかも放り出して、ボランティアとして飛んでいけたらいいのに。
何かしたい。何もできない。
本当に何もできない?
そんなことはないのだと思う。
ただ、現実的な「やりかた」がわからないだけだ。
悔しいなぁ。
雨を眺めながら新聞を読み、ああ、と、思うばかりだ。