遠くにみえるあの花火に
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2004年11月16日(火) 村上春樹『アフターダーク』を読み始める

昨日の夜から「アフターダーク」を読み始めた。

村上春樹のアフターダーク。
読みながら、無意識のうちに夜の闇の気配をたぐりよせようとしている自分に気づく。
冒頭は、ファミレスの白々とした灯りの中の場面なのに、
窓の外の闇ばかりを意識してしまう。


明るいファミリーレストランの中で、
四角い4人掛けのテーブル。作り付けのソファ。
そこに差し向かいで座る二人を、通路側から私は眺める。
二人の背景にあるのは、四角く切り取られた窓の外の闇だ。


そんな風に、私はこの物語のそこかしこに夜の闇を感じる。

まだ物語りは始まったばかりで、
時計の針は、ほんの少しずつしか動かない。





村上春樹さんの小説は好きだけれど、時々、
この人の物語を読むのにはエネルギーがたくさんいる、と思うときがある。
以前の『海辺のカフカ』なんかがまさしくそうで、
うんうんとうなりながら読んだ。

今回のこの『アフターダーク』はどうだろうか?
今のところそれ程のエネルギーを必要としない。
電車の中でも読むことができる。
それがいいことかどうかは別として、
エネルギーをさほど必要とせずに読めるということは、
私の中に浸透しやすい物語だということなんだろう。

けれどももちろん、エネルギーが要るからといって、
私の中に浸透しないというわけではなく、
エネルギーがたくさん要るということは、
それだけ、私を考えさせるということだし、
物語と私の力関係において、物語の方が手綱を握っているということだ。

(つまり、どちらであっても、物語のすばらしさは変わらない。)

他の人がどう思うかわからないけれど、
私にとっては、
『海辺のカフカ』は『ノルウェーの森』や『スプートニクの恋人』に近く、
『アフターダーク』は
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に近いと感じられる。

(どちらがいいとか悪いとかいうのでは、なくて)






それにしても、先を読むのが楽しみだ。










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