遠くにみえるあの花火に
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2005年02月09日(水) 思い出とか、そんな甘い響きの記憶ではなくって、ただそこにある日常の記憶の



昨日はスーパーで買ってきた生カキで、
牡蠣フライなんてしてみたり。

外はサクッと軽く、中はジューシーであたたかい、海からの恵み。
結局のところ、すべての揚げ物は揚げたてが一番おいしいのだ。
と、おおげさにそう思う。

うーん、なかなかおいしいねぇ。
にっこり。と、しながら、
私むかしは牡蠣フライ苦手だったんだよなーと、ふと思い出したり。

そしてついでのように、何年か前に食べに行った串揚げ屋の串の、
上品すぎちゃってなんだか場が盛り上がらなかった飲み会のことを思い出す。
イメージとしては揚げたてをはふはふとほうばって、合間にキャベツをかじり、
みんなでワイワイと生ビールを飲む。というものだったんだけど、
そのお店に行ってみたら、なんとも上品に揚げた串(小さい)が
ちょろりと皿に盛られて出てくるというスタイルだった。
もちろんキャベツなし。

牡蠣フライを食べながら、ふいにそんなことまでとりとめもなく思い出した。
なんだか書いているうちに、また大阪の地下で安い串を食べたくなってくる。
今度行こう。





さて今朝は、
テイエの紅茶を飲みながら眠い頭をゆるゆると目覚めさせていく。

電車の中で二度寝をしてしまうと、いつもの倍も眠たくて、
ちっともしゃっきりしない。
おいしい紅茶は午後までとっておきたかったけど、誘惑に負けてしまう。
うん。負けてもいい。



それにしても、記憶の連鎖って不思議だなと思うのだけど、
ちょっとした事柄に、瞬間的に様々なことを思い出している。いつも。
紅茶。
というひとつの言葉に対しても、書きながら、江国さんの小説の事とか、
友人のこととか、レピシエという紅茶屋さんの店先の風景とか、
いろんなことが脳裏をよぎっている。

その中で、
私はきまぐれにここにいくつかを書き記し、
いくつかを心の中だけに留め、書き記さないことを選んでいる。
それはなんだか、自分の(きまぐれではあるけれど)意志というより、
無意識に近いなにか刷り込まれたDNAのせいというような気がする。
これを書いて、これを書かない。
それはきっと、文章の癖ということでもあるんだろうけれど。



まだ幼かったあの頃、「おかあさ〜ん、紅茶いれて〜」と言うと、
毎朝コーヒーが飲めない私のために母が入れてくれた紅茶。
出勤前のばたばたとした時間だったろうなぁと、今なら思うけれど、
あの頃は、母親が朝ごはんを目の前に並べてくれるのが当たり前だった。
学校まで徒歩10分の私は、ぎりぎりの時間までぐずぐずとしていて、
早く飲んでしまいなさい。と、よく急かされたものだ。

紅茶といっても、ティーポットで飲むような洒落た紅茶ではなくて、
スーパーで大量に安く売っているデイリーパックのような紅茶で、
それにたっぷり砂糖が入っていた。
今では考えられないけど、
ごくあまの、紅茶というより甘いシロップを飲んでいるような、
そんな紅茶だった。
でも、それが好きでおいしいと思っていた。
ちょっと渋かったり、甘みが足りなかったりしたら、
「お母さん、もっと甘くして」と不機嫌になって言っていた。

懐かしいなぁと思う反面、でもそれはついこの間のことのような気もして、
「ときめきトゥナイト」みたいに、
過去の扉を開けてそこに行くことができるような、
そんな遠くて近い記憶でもある。



その時その時は、粗雑に扱ってきた食べるという行為が、
実はいろいろなところで強烈に記憶として残り繋がっているんだなと思う。
毎日毎日のことなのに、あからさまに雑多なこととして葬られている行為。
少なくとも私の生活の中ではそうだ。

でも、食べるということが、物語の中に現れたとたん、
すばらしいこととして印象に残る、その不思議には気づいていた。
何気ない朝食のシーン。
熱いコーヒー。サラダ。こんがり焼けたトースト。
たったそれだけのことが、
書き記されることで明確な意図をもち、何かしらの感情や記憶を誘引する出来事になる。


私の朝は、やかんでたっぷりのお湯を沸かすところから始まって、
それをコーヒーに変身させたり紅茶にしたり、スープにしたりするのだけど、
あまったお湯は、車のフロントガラスの氷を溶かすために、
ポットに移してとっておく、ということをする。
毎朝何気なくしている行為だけれど、
きっとそれもまたどこかである種の記憶と繋がって留まるのだろう。

そしてふいに、「アラジン」の魔法瓶の鮮やかな赤色を、思い出すことになるんだろう。
薄暗い朝の部屋の空気。キッチンのオレンジの明かり。
ステンレスのシステムキッチン。
壊れかけたオーブンレンジ。
あんまりこげ色のついていないトースト。
テレビからもれ聞こえる華やいだ笑い声。
そして赤い魔法瓶。

そういうことをひっくるめて、瞬時に思い出すのだろう。
またいつか、きっと。



こうやって書いている間も、いろんな場面がゆきすぎていく。
それは、あろうことか私の毎日だけでなく、
このエンピツ日記で読ませてもらっている人達の、
見たことがないはずの日常の風景までも、一緒にゆきすぎていく。


書き記されたものの力。
食べ物の力。
そして記憶の力。

紅茶を飲みながら、ぼんやりした頭でその不思議を思う。


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