鮎見時子の日記
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きっかけがなんだったかも忘れ 中学生のときだったことだけが記憶にあるだけだけど わたしにとっての心がシステムでうごいている当たり前が 今の理解は100年300年はかからないと あたりまえじゃないことに気がついた
理解できないプロセスも当然わかるので あきらめというか仕方ないともおもい 今もおもうけどショックは大きいです ああそうか私は人とは違うんだと自覚の原点は そこがはじまりかもと思います
「みんなおんなじ」 よく言われるけど それには言う人の想定する枠がある 何度同じと私にいった人が想定外を私にみた 奇異の視線浴びたかわからない
だったらいわないで欲しい 同心円から切られる感じとっても切ないです
ってこれを書いてるのは 輝ける日々 ダニエル・スティールが 双極性障害(躁鬱病のこと)の息子が病に飲み込まれて 自殺したことを自伝の様に綴っているのを 読んで
これが生々しくリアルでさすが小説家・・・
双極性障害は薬で建設的な自分を保つ葛藤とかの闘いなんだなーと・・
そして読んでいて なぜかできない日常の当たり前の動作・・・
できる人と一緒にされても・・はほんとにできない これが私にはいっぱいある
例えば掃除掃除って掃除道具を掃除に使えるように きれいに維持しないとできない
そこのところがすでに難題・・・
雑巾や布巾をききれいに洗って干してまた使う器用さがない
物を片付ける動作に遣う記憶は なんとか記憶といって自転車に乗るのに動作ではいちいち 意味付けしないハンドル サドルそれから・・と文章化しない そういう種類の記憶処理をするんだけど これが私の不得意 あとでその膨大になぜか家事やってもつながりが切れない感覚を ほかのサイトに文章でupしているのを ここにものせようと思う でもそれが繋がらずこなせるときもあるにはあるけど そういう時って なんだか自分が誰かに勝手に操られてる気がして 気味悪いし・・・
私ってなぜか建設的な自分でいてしまってるけど 気持ちの上では切れるって感覚そのままだったり どうでもよくて興味もないしいくらでも自堕落刹那でいけるし 本心はそっちなのに なぜかそれではいけないおかしいちがう〜と かってに何処かからのっとりがおきて リセットかけてよいしょと現実的な選択してきてしまい・・
それでよかったとはおもうけど それが当たり前ではない いつも闇に飲み込まれる自分との幕が薄くて
当たり前に生きてる人の感覚が私に全然重ならないので どうもいつも孤独というかわかってもらえないし・・・
なんだかな・・・といつも思い続けてます・・・
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