鮎見時子の日記
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2004年08月18日(水) |
暴力って何か虐待とはなにか |
虐待と暴力には違いがある でも現在その違いの説明概念がまったく文章化されていない
って何がいいたいかって 暴力(直接肉体暴力だけでなく性暴力から精神てきなことすべて) は行動を表現しているだけで 過去も未来も全くこのことばと繋がらない 時制の影響を含んでいないし被害者のその後の後遺症、気持ちも 関係ないし 加害者だってもちろん動機あっての暴力なんだけど 暴力いったんはじめたら脳では別な回路でひたすら暴力を続けてしまう。 そのチャンネル切って繋がない訓練しないと止められないのに それをただ暴力行為だけ反省してまた繰り返す
子ども虐待の定義も 現在の定義は行動分類に過ぎず 概念定義ではないし・・・・
英語のABUSEには含む もっと長期での問題 親が子どもで自分の問題の穴に利用してしまう加害性
(本来の親の権利は子どもを保護し育てる義務行使のための権利で できないときは放棄するのが筋)
子どもにとっても欠けた自立能力の問題 心に残るダメージの修復。暴力を受けている期間が 終わってもその後は問題は続いているわけで・・・
虐待の方が暴力だけ考えるよりは問題がみえそうな気がする。
子ども虐待はABUSEから 虐待と翻訳があったけど DVはDVとしてそのまま言葉が定着していきそうなんだけど さらにもっと暴力だけの問題で加害者イコール犯罪者扱い 実は保護命令が出るなどの加害者の人の発言を ネットで読ませて頂く機会があって 子ども虐待は親の支援をとりあえずはそれも柱で動いているけど DVはまったくちがうのを知った
確かに現在までDVは被害者保護が孤立無援で 保護した第三者が加害者の恨みをかってとか かなりきつい常態でそれしかなかったから 加害者はそういうものってイメージなんだと思うけど
でも、もっとよく考えたら 認知が歪んでるからDVなわけで心の病みを 配慮しない介入にも問題があるかと・・ (現時点では被害者保護しか視野にないのが問題 今は仕方ないいままでみないふりしたきたことをやめるスタートだし・・
だってこれは 私がDVの祖父母の孫で だからDVやめてほしかった誰が良い悪いだけみても ほとんど意味がないのよ。
DVにしてもその他の虐待にしても 繰り返してしまうのは長期の行動を制御する能力に 問題があるんで反省にはほとんど意味がない 反省だけでは行動変えられない そこのところの理解ができないとだめかと・・
ちなみにアディクションも 底をつかないと回復はないというけど 底みて回復する一部の人にとって 限界で初めて思考の核が一個にハッキリするから 行動を変えられるそれは自力能力で それを医療アプローチというのかは どうなのよとおもう
長期行動を決める能力の弱い私なんかでいくと したいことしなくちゃいないこと 横並びでたくさんあって きちんと決めようとあせるほど きがついたら欲望だけで行動決めて でも反省してもかえられなくてまあいいかと 自虐と刹那でひどい依存症から抜けられなくて せっかくの人生失う瀬戸際なんだけど
あまえているといわれたらはいそうです。 以外答えはない。
でもそれってときどき繰り返しているけど 思考って答えをだすプロセスは 数学の方程式とおなじで関数の問題得以前の 足し算引き算つまずいてたら関数完璧でも 答えがあわない
だからどうして・・と思いながら 繰り返す私に其の説明は役にたたない。
気に入らない自分の役割りだけ他人が押し付ける (かなり錯角モードだけど 甘えるなに対して一人で頑張った結果がいまでもあるし
問題は自分がどう生きたいかと現実の自分のできることの 折り合いをつけることがうまくできないこと
望めばなんでもかなうなんて 嘘 できることの中から楽しく気持よく生きる方法選択するのも人生だし 欲望で生きるならリスクは自分で引き受けないとだめ
その折り合いがむずかしい・・・
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