鮎見時子の日記
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1999年からSPA!で中年に差し掛かった30代の主婦 結婚して子どもいて幸せの筈の主婦たちが葛藤し 依存症、不倫それから。。。の はたから見てなぜ?の状態の主婦たちのことを 連載していて其のときのタイトルがブレイクワイフ
今女の勝ち組み負け組みなんて言葉が流行っている。 それに比べるとブレイクワイフはメジャーになってない 本当はある痛みを見るのは都合が悪いのかも
ふと思い出して 検索したら以下の文献見つけた
> 鹿野政直「戦前・家の思想」創文社(1983年)からの抜粋です。 > >「ベビーシッターということばがある。・・現今の家庭で妻= >主婦=嫁は、夫シッター、子供シッター、老人シッターの三機 >能を兼ねることを余儀なくされ、その意味で『母性』ないし擬 >似的『母性』をつよめつつある。いいかえれば、総母子家庭化 >の進行である。その関係において家庭は、かろうじて一つの単 >位として存在するとの様相を強めつつある。
>こうして『母性』は、国家によってあらゆる矛盾の投げすて場 >所として意図的に称揚され、男たちによって日常的”些事”を >肩がわりしてくれる美徳として価値づけれられる。・・(略)
>『母性』の観念は、太古のその発生期にあっては、『豊穣』の >観念と結びつき、普遍愛への展望をもちえたのであったとして >も、私的所有を原理とする現今の社会では、すべてを私物視せ >ずにはおかない資本主義的価値意識に思うままに攻めこまれ >『子供』一般ととらえるのとは対極の”わが子”意識をのみ肥 >大させつつある。
毎日毎日全く隙間のない逆算で お昼食べ終わったら夕食のこと考えるのは 脳の負担がものすごい。
私なんかは人間って中身のないうんこ製造マシーンかって思えて 切れてくる 夫は帰宅すると当たり前の様に自分の部屋で TVゲームのスイッチをいれるのが日課 そして当たり前のように飯はまだ腹減ったとぶーたれる 腹立たしくなる瞬間だ
金銭稼ぐことだけでご飯は食べられないのだ。 誰のおかげで食べられるか。 作る私がいるからだ。
それにしても大体今の食生活文化は 19世紀貴族が召使に作らせていたスタイルがベースで それがナチュラルで完璧かはかなり怪しい
ちなみに育児書も親という当事者になって読むと こんなのやってられるかが多い
で思ったけど ルーツは19世紀子どもの発見があって どうして良いかわからなくて貴族の乳母への教育書あたりを モデルに出来上がったんじゃないかと・・ (近代社会では産業革命以前はたくさん産んで何人かが生き残り5歳には 立派な働き手で生き延びていたわけで・・・)
親の役割りってなにはまだまだ子どもを実験台にして 試行錯誤してるんだと思う
母親の理想化を熱く語る人は 自分がそれをやる前提ではないのだよ じゃあ自分でやってみろって感じ・・・
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