鮎見時子の日記
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よく暴力(暴言や依存症の行為も含む)を振るうときって やってるときの記憶がないとかひどいことしてると思うのに止まらないと やってしまう人は言う。
やめようと思う制御が働かないのだ。
これ一部の重たい自閉症の子どもの行動訓練で有効なことみたいで
ぱっと思ったら手がでる暴力が出る子って とにかく最初の一撃をさせない。 かなり大変な寄り添いなんだけど やらないことを体で覚えるって 体が動いたあとではだめなんだそう。
私のかってな推測なんだけど脳の生存危機管理としては やられる前にやり返えせみたいな反射の回路があって そっちが動いてしまってる誤作動なんじゃないかと・・
だからこそ やり始めてしまう最初のところで切るやめる行動訓練なり 現段階での精神科薬では登場してない反射の回路の遮断を高める薬とか・・ (っていうか繰り返してしまう 暴力のメカニズムが理解されてアプローチされてるわけではないし)
暴力をどうしてやってしまうのかだけ 考えたり反省してもほとんど意味がないもう繰り返さないんだって 決意だけで簡単には解決しないことを理解するのが 加害者本人も周りも理解するのが大事かと・・ ストレスで暴力というのも疲れや緊張を生存危機と解釈して 殺すか殺されるかみたいな戦闘体制を脳が牽いてしまう 脳の誤作動と思ってそうならない方法を考えるのが 暴力をやめる手段かと・・
あと、暴力とちょっと関係ないけど ときどき 衝動を開いて閉じられないのが暴力で 反対の閉じてつらいのがわかってもらえないっていうようなこと 繰り返しているんだけど
気持は存在してるのにガラスの向こうみたいで繋がらない。
極端な場合だと 思春期までは主体性ってなくてもその場の雰囲気に反射して行動していたら どうにかなるけど 思春期以降に主体性求められたらとたんにどうしていいからからない。
これもアスペルガー症候群の成人がよくいうなかに
「花みても何も感じないただの物体にしか見えない」 あるいは私なんかの感覚だと 「花は美しいのはわかる、でもだから?」
食べ物でもそう
味はわかるの不味い不味くない
でもだから?
ここの部分がものから共感を受け取る能力の問題で プラスエネルギー回路が開いているかどうかっていうのか・・
うまくつながってないと 自分を着飾ったり清潔を維持する能力にも差し障りがあるし
ものでもそうだけど 他人の感情も 泣いてることみてもああそうだから?みたいな誤作動になったり・・
でそれをあれおかしいとわかる場合もあるし だから?って感じてもそれは冷たい心からでてるわけではないんで 泣いてる相手にどう対応したらいいのかさえわかれば 暖かい気持で対応も出来るんだけど
ものからとか感情を汲み取って行動する能力の問題って ないと冷たいとか人格の問題にすぐされて・・
そうじゃないんだけど・・
ってちなみにぬいぐるみに感情移入って出来ないし 動いてないものに心を見るなんて私は不得意だし
自分を着飾って楽しむのも不得意 最低の身だしなみすらうまく出来てません・・ どうでもいいなんて思うのおかしいとは思うんだけど・・・
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